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| 第11話 闇の終焉:Bパート | 目次 |
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ここはどこだ?
気を失った事のある人間なら誰でも一度はそんなことを思うだろう。
たった今目を覚ました祐一が最初に思ったのもそれだった。
何しろ、顔を上げて最初に目に入った人間は余りに予想外だったのだから。
「祐一さん、気がつかれましたか?」
「あ、あれ?」
満面の笑顔で話しかけてくるのは、どういう理由で傍にいるのか皆目見当もつかない人物……倉田佐祐理だった。
「あはは〜、良かったですね〜。祐一さん、顔色も良くなってきたみたいです。佐祐理も安心しました。」
祐一は反射的に顔を伏せた。
体温が急激に上がっていくのが実感できる。
佐祐理が何故隣にいるのかは判らないが、昨日美汐からあんな言葉を聞かなければ何のことはない場面だ。
いつもふわふわした存在の人が、ふとした弾みでここにいる、何て事があっても不思議はないと思える。
だが、昨日の”予言”を聞いた後ではとても平常心ではいられない。
これこそがまさに予言が持っている力……”平常を乱す行為”なわけで、自分に降りかかって来さえしなければ論理的に看破できる感情の乱れだ。
だが、今は……。
「ふぇ……祐一さん、佐祐理のこと怒ってますか?」
「い、いや、そういうことじゃないんだけど……。」
悪いな、と思っても無邪気に微笑む佐祐理の顔をまともに見ることが出来ない。
祐一は美汐の予言を心底邪魔に思った。
「あ、ごめんなさい。病院で大声を出したらいけないんでしたね。佐祐理、馬鹿だから忘れてました。気をつけますね。」
佐祐理は勝手に納得して小声で謝った。
その優しい心遣いに救われた気分になる。
と、祐一は顔を上げた。
「病院?」
「はい。そうですよ〜。佐祐理は祐一さんが授業中に倒れられたとかで保健室に運ばれているところに偶然出くわしたんです〜。」
ぱんっと音を立てんばかりに両手を胸の前で合わせ、嬉しそうに微笑む。
確かに病院にはそぐわない人かもしれない。
「そ、そのまま保健室に運んでくれれば良かったのに……。」
「そういうわけにはいきません。祐一さんは佐祐理の大事なお友達ですから、万が一のことを考えてここに運んでもらったんです。」
佐祐理は笑顔を崩さずに口調だけは真面目になって応えた。
美汐の言葉が頭にあると、佐祐理のそんな些細な言葉さえ妙に意識してしまう。
祐一は再び顔を赤くして顔を背けた。
「いけませんでしたか?」
「い、いや、その……救急車とかに乗せられてたら恥ずかしいな、と思ったんだよ。」
祐一は慌てて佐祐理の方に向き直り、両手を振った。
「はい。乗りましたよ。佐祐理が付き添いました。」
佐祐理は嬉しそうに両手を上げた。
「んなっ!は、恥ずかしいなぁ……。」
「そんなこと言ったら駄目ですよ。もし重大なご病気だったらどうするんですか?」
佐祐理は真面目な顔になって祐一をたしなめるようにそう言った。
だが、笑顔が普通の顔、が佐祐理だ。
その顔にはどうしても無理がある。
「……そんなこと言って佐祐理さん。本当は自分が救急車に乗ってみたかったんじゃないの?」
「あはは〜、ばれましたか〜?」
的確な祐一の指摘に、佐祐理は堪えきれなくなって笑い出した。
その余りにも罪のない笑顔を見れば、誰であろうと怒る気が失せてしまうだろう。
祐一は苦笑いしながら身体を起こした。
「ありがとう、佐祐理さん。心配してくれて。でも、救急車はもっと本当に必要な人のために使おうね。」
「はい!判りました!」
元気な返事が戻ってきて、祐一の心を和やかにしてくれる。
やはり佐祐理はこうでなければならない。
それからしばらくの間、二人はここが病院であることを忘れているかのように楽しく歓談した。
余りに楽し過ぎて、笑った拍子に祐一が咳き込んだとき、佐祐理が心配そうな顔をした理由が判らなかったほどだ。
「そうだった。そう言えば俺は病人だったな……。」
祐一は思わず頭を掻いた。
佐祐理にあんなことを言っていながら、自分も場所柄をわきまえずに大笑いしていたのだから、人のことをとやかく言えたものではない。
「あはは〜、そうですよ〜。だからこんなところにいるんですから〜!」
屈託のない笑顔に救われるが、佐祐理の声はやはり大きかった。
その笑顔が急に消えて、真剣な顔になる。
「それにしても、本当にどうしたんですか?」
「俺も良く判らないんだよ。授業中に本を読んでいたら急に……。あ、あの本古い本だから、身体に良くない薬品とか使ってたりするのかな?佐祐理さん、そういうの詳しくない?」
祐一がそう言うと、佐祐理は申し訳なさそうな顔をして首を傾げた。
「すみません。お薬の方はちょっと判らないです……。」
沈痛な面持ちで、本当にすまなそうな表情をする佐祐理を見ていると、どんなことがあっても自分が悪かったように思えてくる。
「あ、いや、そうだよね。医者の娘だからって佐祐理さんが知ってる、ってことでもないもんねぇ……。」
「いえ。今は医薬分業の時代ですが……。」
「ああっはっっは、そ、そうだよね〜っ!」
……微妙に論点がずれた答えが返ってきたが、この際笑って誤魔化すに限る、と祐一は賢明な判断をした。
そのまま話させれば日付が変わっていたかもしれない。
実は佐祐理には”医療に使う薬品”の知識はあるが”それ以外の薬品”の知識がないだけだった、と祐一が知るのはもっとずっと後になってからだ。
「だけど、変なんだ。今こうしていても全然何ともないんだけど、あの時は立っていられなかったんだ。本の中身が昔の御伽噺の内容だからさ、本を広げて昔のことを考えていたら、急に目の前がおかしくなったんだよ。」
祐一はため息混じりにそう説明した。
これまで成績はそれほどもないが、”健康優良”を取り柄に生きてきた。
だが、今日のこの早退によって、これまで続けてきた皆勤賞は崩れ去り、後には”成績も素行も目立たない生徒”の肩書きが待つばかりとなった。
「それは、でも、偉いことですよ。自分から自分の過去に立ち向かったんですから……。」
肩を落とす祐一を慰めるように、佐祐理はそんなことを言った。
答えに窮した祐一が訝しそうに見つめると、佐祐理は照れたように顔を俯かせた。
「ごめんなさい。急にそんなこと言われても判りませんよね。」
俯いたままの佐祐理の言葉はとてもしんみりとしていて、いやに心に浸みる。
そのせいだろうか。
これからきっと何か大切なことを口にするんだろうと、そしてそれが聞く方にも辛いことなのだろうと、判っていながら、彼女を止めることは出来なかった。
「実は佐祐理も同じような経験があるんです。忘れたいほど悲しかった過去を思い出したときに、足下がふらふらになって、自分がいる場所が本当じゃない感じになって…、苦しいのに…息が出来ないほど……胸が詰まって………。」
ほろっと、佐祐理の目から涙の滴が一つ落ちた。
いつの間にか迫っていた夕焼けに、その涙が映えて血の滴のように見える。
その涙に誘われたのか、祐一の胸もまた急に苦しくなってきた。
ふと気がつくと、床全体が真っ赤に見える。
どうしようもないほど身体が不安定になって、手懸かりを探して手を伸ばした。
その手がしっかりと何かを掴まえたとき、急激な安堵感が襲ってきて、祐一はまた気を失ってしまった。
ごろごろごろ……。
く〜〜。
時刻は祐一が病院に担ぎ込まれる少し前。
主のいない水瀬家に、奇妙な音が鳴り響いた。
「お腹空いた……。」
「あぅ…。」
テーブルの上に顔を乗せ、お互いに顔を見合わせるあゆと真琴。
その脳裏に、『今日は仕事に行かなくちゃいけないの』という秋子の申し訳なさそうな顔が思い出される。
『留守番できるよ!』と元気良く答えたあゆも、『行ってらっしゃい』と無関心に送り出した真琴も、『お昼にはパンを置いていくから食べてね』という秋子の言葉に何の不安も持っていなかった。
テーブルを見るまでは。
そこには確かにパンが置いてあった。
美味しそうな手作りのパンと、それを台無しにするであろうオレンジ色をしたアレとともに……。
子供達が他のジャムを選ばないように、としっかりと全面に塗りたくってあるオレンジ色をした物体。
先日その強烈な味を味わっているだけに、なかなか手が出ない。
女の子二人が揃っているのだから何か自分で作れば良さそうなものだが、この二人は料理というものをしたことがなかった。
きゅるるるる〜。
一際大きな音が鳴った。
それを契機に、真琴がごくっと喉を鳴らした。
「真琴、食べる……。」
「えぇっ!?」
真琴の宣言を聞いたあゆは目を大きく開いて真琴の顔を見た。
本気なの?と目で訴えかけるが、真琴の決意は変わらない。
「うん。だって、食べられるものなんだもの。食べられるときに食べておかないと、本当に大変なときに力が出ないんだから……。」
真琴は自分に言い聞かせるようにそう言うと、おもむろにジャムの付いたパンを手に取った。
言われなければ気がつかない程度の青臭い香りが、一度味わった者にとっては強烈なマイナスの作用をもたらしてくれる。
急速に食欲が減退していくのが判るが、それでも空腹度の方が上回ったようで、辛うじて口の中に放り込むことが出来た。
「ぅぷ……。」
吐き気ではないが、なんとなく嚥下を躊躇いたくなる本能的な恐怖感が迫ってくる。
(真琴はお腹が空いてるのっ!!)
強く心に念じて、ようやくパンを飲み込んだ。
涙が出そうになる。
「美味しい?」
あゆがとんでもないことを聞いてくる。
「そんなわけないわよ〜っ!でも、食べ物が他にないんだから仕方ないでしょ〜っ!!」
真琴は勢いよく立ち上がって首を振った。
あんまり激しく立ち上がったので椅子が転がったくらいだ。
その勢いに圧倒されたあゆは、それ以上の質問をやめた。
真琴がてきぱきと椅子を直すのをぼんやりと眺める。
(まこちゃん、お腹空いて動けないって言ってたのにな……。)
嘘つき、と心の中でだけ呟いて、あゆは両目を思いっ切り瞑った。
鼻もつまんでパンの欠片を口の中に放り込む。
「うわっ、苦いよ……。」
あゆは顔をしかめながら、それでもどうにかこうにかその”食べ物ならざるもの”を飲み込んだ。
その隣では真琴が次の一切れを口に運んでいる。
あゆものろのろした動きで真琴に倣った。
「……やっぱり、外に行って肉まん買って来ようっと。」
二切れを口に入れたところで我慢が限界に達したのか、真琴は残りのパンを放り出して立ち上がった。
「あっ、ボクも行くっ!」
あゆはすぐさま真琴を追って立ち上がった。
妙なジャムの付いたパンよりはたい焼きの方が100万倍も美味しいはず。
「あゆちゃんはお留守番だよっ♪」
「うわ、やだよ〜。」
真琴が元気良く玄関を飛び出していくのを、あゆがこれまた元気に追いかけていく。
ほんの数分前まで空腹で死にそうな顔をしていたのが嘘のようだ。
余りに元気に飛び出したためか、それとも最初からそう言う考えが浮かばなかったためか、二人とも玄関に鍵を閉めるという基本的な行動を取らなかった。
そればかりか、閉まりきらなかった扉がそれ自身の重みでじわじわと開いていき、玄関はの扉はいつの間にか完全に開いてしまった。
余りにも不用心すぎて空き巣も逆に警戒するのではないか、と思えるほど、主も留守を守る人もいない水瀬家の扉は、しかし、これまたいつの間にかしっかりと閉じられていた。
扉にはご丁寧に鍵までかけられていたので、試験期間中で早めに戻ってきた名雪が家に帰り着いたとき、今度は玄関先で凍えそうになって丸まっている真琴とあゆを見つけたくらいだ。
普段なら名雪も家の鍵を持って家を出るのだが、真琴とあゆが外出するときのために二人に預けて来たのだ。
名雪にしても二人が折角預けた鍵を持たずに家を出て、その間に家の鍵が独りでに閉まるなどと言う珍現象は予想も出来なかった。
……いや、普通は予想できないだろう。
名雪に出来たことは、二人を連れて喫茶店で時間を潰すことだけだった。
そんなわけで、祐一が見当たらない理由を名雪が知るのは、秋子が家に戻ってきて玄関を開け、その後に病院からの電話を受け取ることが出来てからになってしまった。
何故なら、祐一が倒れた騒ぎも救急車のサイレンの音も、放課後の香里や北川の懸命の努力も、幸せそうに熟睡している名雪を起こすことは出来なかったのだから……。
<続き>