Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第11話 闇の終焉:Aパート目次





1月 12日 火曜日



 祐一の隣の席で、名雪がこっくりこっくりと船を漕いでいる。

 無理も無い。

 昨日の夜、家に帰りつくなり真琴と猫の取り合いを演じ、結局夜中まで二人で『可愛いよ〜』と言い合っていたのだから……。

 不幸中の幸いとでも言おうか、祐一がうっかり口を滑らせなくても名雪にばれる運命にあったようだ。名雪が帰ったとき秋子は仕事に出ており、ぴろ、と名づけられた猫と遊んでいた真琴やあゆと鉢合わせをし、祐一の失策はうやむやのうちに終わっていた。

 秋子の反応はいつものように『あらあら……』だけだったが、祐一にとっては非常に驚くべきことだった。

 なにしろ、あの猫アレルギーの名雪が、アレルギー症状を出さなかったのだから……。

 と言うわけで、夜中までぴろを取り合った名雪が授業中も眠っているのは当然のことなのだ。

 しかし、名雪の隣の席で祐一も眠い目を擦っているのはぴろのせいではない。

 美汐から奪った古い本に熱中してしまい、眠れなかったのだ。

 勿論、名雪と真琴が大騒ぎをしたせいで寝付けなかったせいもある。

 だがそれは本を開いたきっかけに過ぎない。

 (@★※◎%△×$#◇&??)

 最初にその本を見たときはタイトルすら読めなかった。

 (神…かみ…かみりしゅ?かみりもりのきた???)

 漢字仮名交じりの文なので日本語らしい、と言うことは判るが、全く意味を為さない。

 やめてしまおう、と思って本を放り投げ、ページがばらけそうになって慌てて掴み直した。

 その瞬間に、意味のあるタイトルが目に飛び込んできたのだ。

 (……なるほどね……。)

 これだけ古い本なのだから、昔の日本語のように横書きのタイトルでも”右から左へ”読むべきなのだ。

 判ってみれば至極簡単なことだが、気がつかなければいつまで経っても暗号のままだった。

 タイトルは”妖狐〜北の守り神〜”

 最初の数行を一読して、この本がこの街に伝わる伝承をまとめた、古い言い伝えの詰まった本だ、と気がついた。

 祐一も幼い頃をこの街で過ごしていたので、どこかで聞いたような話が記憶の中から浮かび上がってきたのだ。

 授業がたまたま古典だったのが幸いして、祐一が授業中に古語辞典を広げておいても誰も違和感を感じないようだった。試験も近いせいもあり、授業そっちのけで何かの作業に没頭している生徒が目立つので、古語辞典を出している祐一はむしろ真面目に勉強しているように見えるのだ。

 祐一が自分なりに意訳するに、伝承の始まりは『この街は自然とのバランスを保つために存在する街である。』から始まっている。

 かつて、占いや呪いが今よりも非常に大きな地位を占めていた頃…生活のほとんど全てをそれらが規定していた頃…人が住むには最適と思われた大きな平野にムラを作ろうと考えた当時の指導者に対して、ムラの呪い師が苦言を呈したことが発端だ。

 『この場にヒトの住処を作れば必ずや災いが訪れる。』と主張する呪い師の言葉を笑い飛ばせる豪気な者はそこにはいなかった。

 だが、どうしてもその場所にムラを作りたい、という指導者に対し、この呪い師は柔軟だった。

 『ならば、この地の更に北に一つ小さな集落を作り、災いを避けるが良い。』

 そうすることにより北からの悪しきものどもの侵入を和らげることができる、と主張したのだ。

 祐一の心を捉えたのはこの下りだ。

 呪い=頑ななもの、というイメージを持っていた祐一にとって、人間のエゴに対して妥協する呪術師の姿は新鮮だった。

 試験勉強のことなどすっかり忘れて読み耽っている姿は、傍から見ればまるで美汐が乗り移っているかのようだった。

 教科書でも習わないような見慣れない表現が多くて解読に手間取ったが、昨晩から何度も読み返して、その意味がようやくおぼろげながら見えてきた気がする。

 つまり、今祐一がいるこの街は元々ここまで大きかったわけではなく、現代風に言うと”数キロ”離れた街を安定的に存在させるために設けられた”重し”あるいは”風除け”の街なのだ。

 当然、そこには悪しきものどもに対抗し得る能力を持つ、と認められたものが選抜されて住まわされた。護街のために神木を祭り、結束して彼らに対抗した。

 それでも足りない部分を補ってくれる存在が”妖狐”だ、という。

 気まぐれで人懐っこく、悪戯好きな彼らは、時に災いを増幅したりもしたが、概ね人間との間に緊密な関係を保っていた。

 この本には妖狐が人の姿に化けて街に現れた記録などが残されていた。

 化け狐と恋に落ちて山に消えた女性の話だとか、狐に危ういところを守られた話では、当事者ばかりでなく、その周辺の人間の語った内容までが実に整然と並べられており、ほとんど事実として語られている様子が窺えた。

 それらは祐一が幼い頃に聞いた御伽噺と奇妙なほどに一致していて、ノスタルジックな感傷が湧き上がるとともに、その具体性を帯びた話に奇妙な感覚を覚えてもいた。

 (狐が人間に化ける、か……。)

 祐一は読み終えた伝奇を何の気無しに眺めた。

 日本全国どこにでもある、珍しくもない御伽噺の類だ。

 特に狐狸との交流の話は誰でも幼い頃には聞いたことがある、ありふれた題材に違いない。

 だが、子供の祐一のみならず、祖母も母親もそう言った寝物語を真剣に捉えていた。

 そのためかどうか、都会で世の中の厳しさを教わったはずの祐一だが、今でもどことなくこういった伝承を笑い飛ばせないところがある。だからこそ、都会での生活では簡単に騙されてきたのだが……。

 ふと、目を上げた。

 ありえないものがそこにある。

 通常顔の下にあるはずの机がなぜか目の上にあることになる。

 おかしいな?と首を傾げると、今度は椅子が目に飛び込んできた。

 危ない、と体をかわそうとして身体を捩った。

 天井が眼の下にある。

 そんなはずはない、それは床だ、と祐一が気がつくことは、なかった。

 祐一は授業の終了を待たずに学校から運び出されていった。



 「その本はそこの棚に並べてくれ。」

 老人の声に従って本を並べ直す。

 最近顔を出さないでいたら、驚いたことに客が来ていたらしい。

 整然と並べてあったはずの本がばらけていた。

 仕事が出来たなら呼べばよいのに、この気難し屋の老人はわざと自分の仕事の日が廻ってくるまで放っておいたらしい。

 折角入れた電話も”使いたくない”という理由だけでほとんど使われない。急に休みを取るときにどうしても必要なので、雇われている側が自腹を切ってここにおいているのだ。こんなところは他にはあるまい。

 「次は棚の掃除だ。それから、書庫から口伝を出してきて並べてくれ。」

 「口伝……ですか?」

 老人の命令には有無を言わさぬ圧力があったが、それでも思わず聞き返してみたくなる。

 一口に”口伝”と言うが、その量は膨大でそう簡単に片づくものではない。

 だが、首を傾げる間もなく、”そうだ”という無慈悲な言葉が投げかけられる。

 「全巻ですか?」

 一縷の望みを持ってかけた言葉は、同じ返答によって打ち砕かれた。

 人手があるうちに模様替えをするつもりなのか、それとも、仕事を休んでいたことを遠回しに責めるつもりなのか……恐らく両者だろう。

 だが、文句を言っても始まらない。

 老人の指示通りに黙々と作業をこなす。

 全ての作業を終えた時にはもうすっかり日が暮れていた。

 その間ずっと身動き一つしなかった老人の前に立つ。

 「終わりました。紡ぐ者。」

 「ご苦労だった。語りかける者。」

 老人の声は冷たくもあり、温かくもあったが、記憶の中の声よりも遥かに温度が低くなっていることは疑いようもなかった。

 もはや限界が近づいている。

 いづれ破綻の時はやってくるのは間違いない。

 こういったやり取りが出来るうちに頼んでおかなければならないだろう。

 「そうそう。急なお願いで申し訳ないのですが、今月はもう来られそうもないので、今日のうちにお給金を戴きたいのです。」

 それを聞いた老人は初めてにやりと笑いを漏らした。

 「手駒が揃ってきたからな。お主もそろそろ牙を研がねばならぬ、ということか?」

 「答える理由はありませんよ。」

 そっと頬に手を当てて微笑む。

 焦ってはいけない。

 ここは今まで以上に慎重にならなければ……。

 「……これまでの分もまとめるんだな?」

 「はい。」

 需要は増してきている。

 在庫は多いほうが良い。

 幸い、老人はこちらの思惑を全く感じていないようで、淀みなく布袋が手渡された。

 「……次はいつ来るんだ?」

 中身を確認しようと袋を開きかけた手がぴたりと止まった。

 感づかれたのかもしれない……。

 だが、老人の目を盗んで大急ぎで盗み見た袋の中には望んだとおりのものが詰まっている。手触りも良好だ。

 大きな安心とともに少しずつ余裕が生まれていくのが感じられる。

 勝負は終わったのだ。

 「……もう、ここには来られないかもしれません。」

 いや、恐らく来ないだろう。

 来ることがあってはならない。

 「む?雨宮よ。もしや、お主のもとに……?」

 「そうだとしたら、どうします?」

 雨宮と呼ばれた女性は、老人の言葉を中途で遮ると長い髪をそっと触った。

 それは余裕の現れと言うよりも勝利の宣言に近い仕草だった。

 事実、ほんの数秒前まで使用する側にあって泰然としていた老人は急に落ち着きを無くし、使用される側だった雨宮が今は悠然と主導権を握っている。

 何しろ既に貰うものは貰っているわけだし、切り札もある。

 「今のうちに機嫌を直していただけませんか?その方がお互いにとって有益だと思いますわ。」

 自らの優位を背景に、雨宮は数年来語り続けてきた言葉を繰り返した。

 今日で暇をもらうことになるなら、事実上これが最後の願いになる。

 半ば祈るような気持ちで待つが、老人からの返事はない。

 全ての感情を殺しきったような表情の周囲に、重苦しい沈黙が漂っているばかりだ。

 雨宮はあきらめたようにため息をついた。

 頑なで意固地。

 彼の性格は判っているつもりだったが、これほどとは……。

 これ以上いても無駄だ。

 「仕方ありませんね。帰ります。」

 雨宮はくるりと踵を返して出口に向かった。

 賽は投げられたのだ。

 後は勝つか失うか、どちらかしかない。

 「雨宮……。」

 その背中に向けて老人の言葉が発せられた。

 立ち止まった雨宮だったが、振り向くことなく言葉だけを返した。

 「お忘れなく。私はもう雨宮ではありません。」

 老人の些細な間違いまでをも拒絶の材料に使う。

 本来は別の者が行うべき役割だが、敢えてそれを担うことで状況の変化を告げたつもりだ。

 「そうだったな……。」

 呼び止めた方の声色も険しいものになった。

 ようやく事態を咀嚼したようだ。

 扉が閉まると、後には静寂だけが残った。

 綺麗に並べられた書棚の背表紙がむしろもの悲しさを助長しているように感じる。

 客が来たら後片づけに困るな、と老人が気づいたのは夜もとっぷりと更けてからだった。



 いや〜、極楽極楽……。

 一時はどうなることかと思ったが、運良く『抗う者』に会えたし、こうして『運命の歯車』の中心に居場所を確保することができるとは吉兆吉兆。

 人間万事塞翁が馬とはよく言ぅたものじゃの〜。

 おっと、もうこんな時間か。

 そろそろ飯にするかな。

 ここの人間は最近の人間には珍しく、出来合いのもので済ませずにきちんと作ってくれるから何を食っても美味いわい。

 儂らは食えるときに食っておかんといかんからの〜。

 もぐもぐ……。

 しかし、見事に何しに来たのか忘れておるの〜。

 かといって、折角ここまで来たのに横から手を出すのも気が引けるしの……。

 もぐもぐ…。

 どうしたもんか……。

 んま、いいとするか。

 この機会に成長すれば良い、と思って敢えて追いかけなかったわけだし、ここにいれば何があっても”手遅れ”になることだけはない。

 (とはいえ、昨日はさすがに危なかったが……。)

 うっかり寝過ごしてしまった。

 疲れていたとはいえ、また、事態の急変が突然だったとはいえ、監視者としては失策だ。

 (それにしても、気付かれないはずはないのじゃが……それもこれも、この場所の特異性がそうさせるのかの。)

 それとも、やはり彼の特性が出ているのか?

 いずれにしても、今はゆっくり疲労を回復しよう。

 こんなにのんびり出来るのはあとほんの少しのはずだから………。


<続き>


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