| Canon 〜外典〜 | 前話 |
| by Ophanim | 次話 |
| 第10話 偽りのヒロイン:Dパート | 目次 |
-
「ねぇ、隣歩いても良い?」
「ん?あぁ。別に構わないけど、ほら、急ぐぞ。」
「あ、うん…。」
祐一は街角の時計を見て歩みを早め、名雪も顔を少し赤く染めながらそれに従った。
だが、隣を行く祐一の方は上の空で、従姉妹の微妙な心の動きに気付ける状態ではなかった。
ほんの数十分前。
倒れたままの美汐に向かって、
「お前はちょっと他人の気持ちを弄び過ぎる。反省するまでこの本は俺が預かる。」
と、もっともらしい理由をつけて帰ろうとした、その時。
「ま、待ってくださいっ!その本は借り物なんです……その本がないと、本当に…困るんです…。」
そこには、涙を浮かべて懇願する美汐がいた。
聞けば、街の貸し本屋で借りている本だという。
料金自体は一冊数円足らずという信じ難い安さなのだが、糸で綴じられた装丁や墨で書かれた文字など、どこから見てもかなり古い本なので価値はそこそこありそうだ。
だがそんなことよりも、数円という料金を馬鹿にせず、借りたものをきちんと返そうと言う美汐の態度には共感させられるものがあり、本気で本を読んでみる気になったのだ。
今後安易に他人のことを占わないことを条件に、2,3日のうちに必ず返す、という約束を美汐と交わした今の祐一には、栞の見舞いを早く済ませて家に戻りたい気分で一杯だった。
冬の日は足が速く、二人が倉田総合病院の前に差し掛かったときにはすっかり夕闇が迫っていた。
病室の場所をナースステーションで聞き直し、名雪の先に立って歩き出す。
そして数分後……。
「……迷った…。」
「う〜…。だから案内してもらった方がいいって言ったのに……。」
名雪が恨めしそうな声を上げる。
元々方向感覚が良いとは言えない二人だ。
突き当たりを右に曲がって次を左に右に…と一度説明されただけで辿り着けるはずはなかったのだが、祐一が看護婦の申し出を断ったのだ。
「だってなぁ。もしも救急患者とか運ばれてきたら、人手は一人でも多い方がいいだろう?俺らは単なる面会人なんだから……。」
祐一は困ったように頭を掻きながら説明した。
確かに祐一の言う通りなのだが、今の状況で言われても説得力に欠けるものがある。
「あれ?祐一さん?」
不意に、途方に暮れている二人の背中に声がかかった。
振り向けば、そこにはスナック菓子を袋一杯に詰めた栞が立っている。
「あ、栞〜。丁度良いところに……。」
「どうかしたんですか?」
喜ぶ祐一を不思議そうに見返す。
いつもの私服ではなく入院患者が着る病院服を着ているが、それはそれで可愛らしい。
適当なサイズがなかったのか、それとも栞が見栄を張ったのか、大きめに開いた肩口から覗く細い鎖骨が寒そうだ。
「いやな、栞の病室を探していたんだ。迷っちゃってなぁ……。」
「え?迷ってませんよ。あと2,3部屋向こうですから。」
そう言うと栞は二人の先に立って歩き出し、数部屋分向こうで立ち止まった。
「はい、ここが栞の部屋です〜。」
にっこり笑って部屋の中に消えていく。
二人はそれに続いて病室に入った。
「こんにちわ。祐一さん。それと、え〜と……。」
「あ、わたし、水瀬名雪です。祐一の従姉妹の……。」
「そうですか〜。私は栞です。美坂栞…。」
(あれ?)
二人が自己紹介しあうのを見た祐一は首を傾げた。
ということは、二人は初対面ということになる。
すると、名雪が親友の香里の姉妹について知らなかったと言うことになり、香里が言っていたこともあながち嘘とも言えない。更に栞も嘘を言っていないとすると、同姓同名の人が居るのではないかという栞の推測も判る。
「あ、私のことは栞、でいいですよ〜。」
「わたしのこともなゆちゃんでいいよ。」
首を傾げている祐一を後目に、二人はあっと言う間に意気投合していた。
どこかで聞いたような自己紹介だな、と祐一は”なゆちゃん”を見つめた。
(ん???)
名雪は真琴にそう言っただろうか?
真琴のことを「まこちゃん」と言ったりしているから、別段仲が悪いわけでもなさそうだ。
だとすると……。
「おい、なゆちゃん。」
「わっ!祐一はダメだよ……。」
顔を赤くしている名雪に向かって、祐一は自分の推理結果を述べた。
「なゆちゃんよ。栞はこう見えても高校一年生だ。俺達と一つしか違わないぞ。」
「えっ!?嘘っ!?」
名雪の驚いた顔から見ても、今の今まで栞を相当低年齢だと思っていたに違いない。
罰が悪そうに栞の顔を見ている名雪の態度を見た祐一は、もう一人の方も誤解していると確信した。
「ちなみに、あゆは俺達と同じ歳だ。」
「えぇっ!!」
今度は飛び上がるばかりに驚いた名雪を見て、栞も名雪が自分をどう見ていたのか察したようだ。
「名雪さん、私、そう言うこと言う人嫌いです〜。」
「わ、わ、ごめんよ〜。わたしてっきり……。」
申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げる名雪の態度を見れば、頬を膨らませて不機嫌そうにしていた栞もいつまでも怒ってはいられない。
栞は機嫌を直すとスナック菓子を広げて二人に勧めた。
「そう言えば、名雪は昔保母さんになりたいとか言ってたな。」
祐一は遠慮なくスナックに手を伸ばしながらそう言った。
頷いている名雪の姿に、幼い頃の三つ編みの面影が重なる。
『名雪みたいにお母さんが忙しい子がいると思うから、その子達のお母さんの代わりになりたいの。』
自分の境遇を嘆くことなく、そう強く言った名雪に感心したものだった。
幼い頃、あんなに強かった従姉妹はどこに行ったのだろう?
「昔じゃないよ〜。今だって思ってるよ。」
名雪は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
そのほのぼのとした笑顔には、しかし、かつて見せたほどの強い意志は感じられない。
本気で思っているのかどうか疑ってしまいたくなる。
「そう言えば、名雪さんって、祐一さんがゆきさんとさきさんのどっちを選んだか知ってます?」
「ぶっ!!」
栞がにこやかに聞いているゆきさんとさきさんは件のドラマの二人のヒロインのことだ。
ゆきさんは裕福なの家庭に生まれたが、控えめな性格で自分の気持ちをなかなか伝えられない女性、さきさんは逆に困窮した家庭環境の中、強気に前向きな性格で現状改善に邁進する女性だ。
主人公は、さきさんと幼馴染みの関係にあったが、ドラマのラストでは主人公はゆきさんの方を選ぶ。
この選択が視聴者の共感を得られず、非常に不評だったのだ。
だが、先日の栞の質問に照らすと、祐一は大方の視聴者の意見とは逆に、主人公の選択通り「ゆきさん」を選んだことになる。
何故かは判らないが、その方が自然に思えたのだ。
「栞ちゃんもあのドラマ見てるの?」
「はい〜。私、ドラマとか見るの大好きなんです〜。」
両手を合わせて幸せそうにそう言う栞の仕草はいつもと変わらない。
妹らしい、少し甘えるような仕草。
もし二人のことを知らない人が名雪と話している栞を姉妹だと思ったとしても”妹は栞”とはっきり判るだろう。
(それは……。)
祐一は軽く頭を押さえた。
逆のことを、つい昨日見たような気がする。
もしも…。
もし、何も知らない人が名雪と香里を姉妹だと思ったとしても”姉は香里”と……。
「……そうだ、祐一さん!」
不意に栞に話しかけられて、祐一は決して答えのでない考えを中断した。
「祐一さんなら判りますよね?どうしてゆきさんを選んだんでしょう?」
栞はただ素直に疑問をぶつけてきた。
だが、祐一としてもそれは”感覚の問題”でしかない。
「さぁ…なんとなく、だけど……。」
「そんないい加減なのじゃだめです〜。」
栞は不満そうに頬を膨らませた。
先日の彼女自身の質問によって祐一が答えにくくなっているのだが、そんなことには考えが行かないようだ。
祐一は苦笑しながら、なかなか言葉にしにくいもやもやした感情について説明を試みた。
「…何って言うのか、あの”さき”ってヒロインはなんだか、”自分の生まれの貧しさ”を武器にしているような、そんな嫌らしさが感じられたっていうのが…う〜ん、上手く言えないんだけど…。」
祐一が言う通り、”さき”は主人公の気持ちが”ゆき”の方に傾きかける度に『そうよね?やっぱり誰が見たってあたしよりもゆきの方がいいわよね〜。』を繰り返した。自分の立場が弱いことを逆手にとって、相手にのしかかるような圧力で自分の方を向かせていたのだ。
原作者の意図では、本来ならば視聴者の大半が途中でそんな”さき”のあざとさに気がつくはずだった。
だが、テレビドラマの放送回数の関係でその底意地の悪さが充分に描写しきれなかったこと、役柄の上では貧乏なはずの”さき”の衣装が映像受けの関係で毎回異なり、”貧しさ”が嘘臭かったことなどの影響でその鼻につくようなあざとさが感じられず、結果的に『力のある経済的弱者よりも、力はないが裕福な者を選んだ』という表面的なイメージだけが先行してしまったのだ。
「え〜?そんな風に考えたこと無かったです〜。祐一さん、凄いです〜!」
栞は手を叩いて尊敬の眼差しを送った。
余りドラマを見ない祐一が、ほんの数回、しかも数場面だけを見てその本質を見抜いたことの方が驚くべき事なのだが、今の栞にはそれは判らない。
また、そう言われた祐一の方でも、自分の言葉が示したことの意味に気付いていなかった。
誉められて悪い気がするはずが無く、祐一は照れ隠しにスナック菓子に手を伸ばした。
「ところで、病人がこんなにお菓子ばっかり食べて良いのか?」
ぱりっと口の中でポテトチップを割りながら聞いてみる。
「あ、それは…お昼あまり食べなかったので……。」
栞は困ったような、責めるような不思議な顔つきで祐一の顔を覗き込んだ。
「ん?どうした?」
「実は、今日も祐一さんがお昼を持ってきてくれるかもしれないと思ったんです。」
「はぁ?」
栞の恨めしげな顔をしげしげと見返してしまう。
今日は月曜日だ。
栞に弁当を持ってくるためには午後の授業を抜け出してこないといけない。
それを伝えると栞はようやく納得したように頷いた。
「そうですね〜。それは気がつきませんでした……。」
その顔を見る限り、冗談や意地悪を言っていたわけでは無さそうだ。
本当に今日が平日だと気がつかなかったらしい。
「栞ぃ、そんなことじゃあ退院してからペースが元通りになるまで相当かかっちゃうんじゃないのか?」
祐一は苦笑しながらそう言った。
冗談のつもりだったし、そうそう深刻になることでもないはずだった。
「え?栞ちゃん、入院してからそんなに長いの?」
ただの風邪だと聞いていた名雪にとっては、しかし、その会話は飛び上がって驚くほどの衝撃だった。
まさか彼女の入院が学校の時間割を失念するほどの長期間に及んでいるとは……。
「冗談に決まってるだろ、名雪。多分冬休みと勘違いしただけだな。」
祐一は”入院している”という割りに商店街に出てきたり、寒空の下でアイスクリームを食べたりしている元気娘をこづいた。
よしんば長引いているとしても、それが栞の行動による”ぶり返し”である可能性が非常に高い。
案外、家に置いておくとテレビを見に来たりアイスを食べたり夜更かしをしたりしてどうしても治らないから入院させてみた、というのが正解かもしれない。
「そっか。良かったよ。今度の舞踏会までには退院できると良いね。」
名雪はまたしても祐一の知らない行事を口にした。
聞けば、試験が終わると今度は舞踏会なるものがあるらしい。
体育館を利用したかなり大掛かりなものらしく、二日掛かりで会場設営をする。
従って祐一の陸上部デビューは相当先の話になりそうで、とりあえず一安心だ。
「それに、残念だけど、どっちにしろ今日は俺達弁当じゃなかったんだ。」
祐一は苦笑いしながら栞に説明した。
「へぇ。この間は随分たくさんのお弁当だったのに……あ、もしかして、私のために多めに持ってきてくれたんですか?」
話している間にその可能性に思い至ったのか、栞の声は次第に小さくなった。
すまなそうな表情がいじらしく、泣き出しそうに見えたので、祐一は慌てて首を横に振った。
「いや、違う違う。秋子さんはいつも多く作り過ぎるんだ。昨日だって大量に余ったから本当は今日も弁当のはずだったんだ。」
祐一は昨日のお誕生会について簡単に説明した。
香里のことも話してみたが、特に変わった反応は見られない。
どうやら本当に他人のようだ。
「大量に余ったんだけども、夜の間に秋子さんがどこかから見つけてきた猫にあげちゃったみたいで、それで俺達の分の弁当が無くなったんだ。」
な?と従姉妹に同意を求めた祐一は、自分が致命的な失敗をしたことに気がついた。
「祐一、猫って?」
既に目の光が尋常でなかった。
きらきらと輝くような光の隅に、『どうして教えてくれなかったの?』という非難の色彩がちらほらと見える。
「あ、いや、えっと、の、野良猫だ。うんうん、もう家の中にはいないぞ?台所になんて絶対いないからな。」
「そう。台所にいるのね?」
「ち、違うって!落ち着けっ!名雪っ!!」
だが、そんな祐一の制止を振り切るように、名雪は椅子から立ちあがった。
バランスを崩した祐一が床に倒れる。
祐一が名雪の短めのスカートを気にしてそろそろと顔を上げたとき、従姉妹は既に病室を出るところだった。
追いかけようとした祐一に向かって、笑顔を無意味に満面に広げた名雪が顔を見せる。
「そうそう。今夜は祐一だけあのジャムでご飯だから。」
ご飯もジャム、おかずもジャム、お味噌汁はジャムの上澄み汁………、という従姉妹の死刑宣告を聞いた祐一は、それ以上追いかけることが出来ずにその場にへたりこんでいた。
<続き>