| Canon 〜外典〜 | 前話 |
| by Ophanim | 次話 |
| 第10話 偽りのヒロイン:Cパート | 目次 |
-
中庭に繋がる廊下のどん詰まり。
そこをちょっと右に曲がったところで美汐は歩みを止めた。
頑丈な鉄の扉が行く手を阻んでいるが、美汐の態度を見ると元々ここを目指してきたらしい。
なるほど、冬の間は渡り廊下が使われないため、3方が壁に囲まれたこの場所はちょっとした死角になっている。
密室でない分機密性は薄いが、逆に”無用な誤解を避けつつ落ち着いて話をする”という美汐の目的にはぴったり合致している。
いつも来慣れているらしい美汐は、迷いもせずに持参した鞄をベンチにおいて自分の場所を確保した。
仄暗い廊下にあっても、そこにはちょうど昼の日差しが届いていて過ごしやすい上、ベンチもおいてあって本を読んだり微睡んだりするには絶好の場所だ。
「さて、どのようなご用でしょうか?」
美汐は少しウェーブのかかったショートカットを揺らして振り向いた。
右手を首の前に運んでいるのは警戒感からなのか、それともそこに何かお守りのネックレスでもつけているのか?
美汐の全ての動作は年齢に似合わないほど上品だったが、強い意志を秘めた瞳だけが異質だった。
(手強いかもしれない……。)
そう感じた祐一は、名雪から財布を受け取りながら、そっと耳打ちをした。
『いいか、名雪。これからしばらく何があっても大騒ぎするな。』
『う、うん。でも祐一、早く切り上げてね。』
やはり美汐が苦手なのか、少し当惑気味に目を大きくしていた名雪だったがこういう所は素直だ。
ついでに正直過ぎて駆け引きの手助けは出来そうに無い。
とは言いながら、もとより名雪を戦力には数えていないのだが……。
「まず、これを返す。」
祐一は美汐に、真琴が持っていた財布を手渡した。
いや、手渡そうとした。
「受け取れません。」
美汐はきっぱりと断った。
手を出そうともしないので、宙ぶらりんになった財布は行き場を無くして所在なさげに祐一の手に残っている。
(……判ってはいたけど…強情な奴だな……。)
祐一は内心苦々しく思いながら、敢えてそれを表情に出さずにひょいっと財布を内ポケットに入れた。
「らっき〜、あいつももう要らないみたいだから俺がもらっておくよ。」
祐一は出来るだけ自然に見えるように嬉しそうに振る舞った。
実際、真琴は秋子から小遣いをもらえることになっているし、もう少し女の子らしい財布を預けた方がいいだろう。いづれこの財布は返すにしても、今は何より美汐の対応を観察する方が先決だ。
案の定、能面のようだった美汐の顔にはっきりとした怒りの表情が浮かんだ。
「ばっ!馬鹿なことを言わないで下さいっ!!その財布は……その財布は私が彼にあげたものですっ!!」
怒りで顔を真っ赤に染めた美汐の声が一瞬詰まり、そして致命的なミスを犯した。
祐一は美汐の顔から視線を外さずに、ぼ〜っとしながら後ろに立っている名雪に話しかけた。
「へぇ?名雪、真琴は男だったか?」
「え?え??」
名雪は美汐と祐一の間でかわされた駆け引きにも、その勝敗にも気付いていないようだった。
だが、当事者同士の間では勝負がついている。
「だから、この天野って奴は、見ず知らずの人間に財布を渡すとても親切な人間なのさ。相手が男か女かも判らなくても現金が入った財布を渡せるくらいにな。」
「……。」
祐一は名雪に説明をするかのような態度をとりながら、美汐のミスをより強調して追い込んだ。
とりつく島もない、と思っていた相手が思わぬミスをしてくれたのだ。このチャンスはとことん利用しなければならない。
美汐はぐっと唇を噛んだまま無言を保った。
これ以上は何も話さない、と意思表示しているかのようだ。
祐一はもう一アクション起こすことにした。
「……ってことは、俺がもらっても問題はないってことだな?」
「そんな馬鹿なことは……!!」
気色ばんだ美汐がはっと口を押さえるが、もう遅い。
美汐の態度は”真琴と祐一は違う”ということをはっきり示している。
「……話してもらうぞ?俺と真琴で何が違うのかを……。」
「そんなこと……、あなただって知っているはず………それとも、知らないんですか?」
美汐の目に驚きの光が浮かぶ。
(まずいな…。)
祐一は内心舌打ちをした。
意図してかそうでないかは別にして、絶妙のタイミングで間合いを取られてしまった。
このまま話を続けては再び相手に主導権を奪われる。
祐一は、自分から少し間を取ることに決めた。
「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺は相沢祐一だ。」
「……?」
唐突な自己紹介に驚いたのか、美汐の勢いが一瞬削がれた。
祐一はその間に考えをまとめる。
とは言うものの…。
(こいつの言ってることは全然判らない…。)
もともと占いだとか迷信だとか奇跡だとか、そう言ったものには無頓着な方なのだ。占いの文言に一喜一憂する名雪や奇跡という言葉に過剰反応する香里の感覚にはついていけない。むしろ、結果的に母親の言った通りにことが運んできた、という事実が気に食わないくらいだ。
今祐一の目の前にいる呪い師の類は、祐一が気に入らないものの最たるものと言えるのではないだろうか?
一般人には理解不能な、不可思議な根拠に基づいて予言を紡ぎ出す…。
(不可思議なこと、か……。)
最近あった不可思議なことと言えば、ちゆ…いや、舞が言ったことくらいだ。
『動かす者』
それは何なのだろう?
この際一挙に疑問を解決してやろうと、祐一は賭けに出ることにした。
「俺は”動かす者”だって言ったら判るのか?」
途端に美汐の顔から緊張感が消え、花のような笑顔をほころばせた。
「ああ、やはりそうでしたか。そうでなければ説明が付きませんからね。」
美汐は一人納得して頷いているが、祐一の方はかえって混乱している。
(余計なことをしたか?)
少し自信が無くなったが、それでも表情だけは余裕たっぷりのふりをしている。
ここは少し美汐に話させた方が良い。
「そう言うことだが、お前の言葉だと真琴との関係はどうなってるんだ?」
「相沢さんは『動かす者』『狩る者』の関係だと教わったのかもしれませんね。私は同じものを『使役する者』『使役される者』と学びましたから……。」
美汐はにににことしながら、鞄の中から古ぼけた本を取り出して何やらページをめくり始めた。
ぶつくさと薀蓄を語りながら何事か説明を加えているが、何を言っているのかさっぱり判らない。
だが、どうやら”祐一の方が真琴よりも優位らしい”ということは何となく判った。同時に、美汐の行動には”優位な人間が下位の人間に与えられた援助をかすめ取るなど言語道断”、というニュアンスがあったらしいことも判った。
更に重要なことに、美汐本人に超常的な力があるわけではなく、美汐が所有している本に何事かが書いてある、と言うことも判った。
(やっぱりえせ占いじゃないか……。)
祐一は、怖がりの従姉妹に対して不確かな根拠で無益な情報を吹き込んだ美汐に、言い知れぬ怒りを覚えた。
「まぁ、財布のことはただの冗談だ。だけども、真琴もうちの家主の秋子さんからお小遣いを貰えることになっているから、これは引き取ってもらえないか?」
祐一の申し出に一瞬美汐が揺らいだ隙を逃さず、その手に財布を握らせる。
後は”絶対に受け取らない”という、美汐がやったことをやり返せばいいだけだ。
『真琴が使った分はレシートで判るから、その分を補填して持ち主に返す。』
先日秋子と財布の処遇について話し合ったときに決まったことだ。真琴の小遣いについても、秋子はさもそれが当然のように自分から申し出ていた。あれだけ家にいながらにして、一体どういう仕事をしているとお金に余裕が出るのか不思議でならない。
「判りました。」
美汐がしぶしぶ財布を鞄にしまったのを確認してから、祐一は話を続けようとした。
その背中を、つんつんとつつく奴がいる。
「何だ?どうした名雪?」
「祐一、あのね……。」
名雪は困ったような表情でそっと左手を差し出した。
「その…時間……が…。」
「時間?あぁ、まだあと20分もあるじゃないか…。」
名雪の腕時計を一瞥してそう答える。
(あれ?)
何だろう、この違和感は?
さっき香里に『奇跡ってそんな簡単に起こるものじゃない』と言われた、その時間が20分前だったような気もする。
「お前、もしかして…その時計…。」
「止まってる…。」
名雪の顔は引きつっている。
その引きつっている頬を、むぎゅっとつまむ。
「わっ!!祐一〜ひたいよ〜。」
「すぐに教えないからだ!」
「ふぁってひゅ〜ひひふぁふぁなふぃふぁおふぁふはへ…(だって祐一が話が終わるまで…)。」
「そういう重要なことは早く教えろっ!!」
「………仲がいいんですね…。」
二人が掛け合いをしているのを、美汐は冷静に観察していた。
誰がどう見てもそう見えるのだろうが、実際はそうでは無い。
祐一は慌てて名雪の頬を解放した。
解放された名雪がすかさず反論する。
「そ、そんなんじゃないよ。わたし、いじめられてたんだよ……。」
「はぁ、そうですか…。」
だが、名雪の反論には説得力が無く、美汐に対しては部長の威厳も全く通用しなかった。
「天野も天野だっ!何だってそんなに落ち着いてられるんだ?もう午後の授業始まってるかもしれないんだぞ?」
「別にどうってことありませんが?」
美汐は平然と言い放った。
これだけ堂々と”さぼります”と宣言されると、焦っていた二人の方がだらしないような気がしてくる。
名雪が部長でありながら美汐に強く出られない理由がまた一つ判ったような気がした。
だが、美汐の個人的な主義主張は別にして、また、授業をサボるとはけしからんという道義的問題もさておいて、祐一にとって一番問題なのは、転校初日から噂になっている二人がそろって授業を抜け出したと誤解されることだ。
「おい名雪っ、急いで帰るぞっ!」
「う、うんっ!」
祐一が話し掛けるとすぐに、名雪は後ろも振り返らずに駆けていった。
一緒に戻るふりくらいはしようかと思っていた祐一にとっては多少拍子抜けの感もある。
「相沢さんは戻らないんですか?」
「後で戻る。」
祐一は出来るだけ泰然と構えていた。
本心は秋子に対して申し訳無い気持ちで一杯だったが、従姉妹との関係で停学等の処分を受けるよりは数段ましだ。
「そうですね。私もそう思います。高校の授業よりも今この町に迫っている危機の方が大きな問題です…。」
美汐は奇妙な理由で祐一の行動を肯定した。
(またかっ!?)
祐一は嫌悪感を持って美汐の顔を見つめた。
占いによって危機感を煽り、それから助かるために、と称して自分の価値を高める。
祐一はそんな加持祈祷の類は信じる気になれなかった。
「ふぅん?そんなに大変な問題なのか?」
揶揄の響きを隠さずにそう言ったつもりなのだが、美汐の方では全く気づいていなかったようだ。
「はい。大変な問題です。」
風と木のバランスがどうのこうの、神木の再生がなんのかんのと果てしない説明が続いていく、その途中に。
『運命』という単語を聞いたような気がする。
祐一は眉を顰めて美汐の言葉を遮った。
「おい、待て待て。さっきからごちゃごちゃとうるさいが、お前の予言はそんなに当たるのか?」
今度ははっきりと嫌悪感を口にした。
……はずなのに、美汐はとても面白いことを言われたかのように無邪気に大笑いをした。
「そんな、当たるはず無いじゃないですか、相沢さん。あなたがいるのに……。」
美汐の、手の甲で口を隠す仕草は上品なのだが、今この状況でやられるとわざとらしく感じられる。
苦々しい思いで見つめている祐一の前で、美汐は笑い続けていた。
「……はぁはぁ、面白い方ですね、相沢さんは……。こんなに笑ったのは久しぶりです。お礼に一つ良いことを教えてあげますね。」
美汐は笑いが収まると、肩で息をしながらそんなことを言った。
彼女の態度に呆れていた祐一は、一瞬反応が遅れてしまった。
その隙に、『相沢さん、そのまま水瀬さんのところにいれば倉田さんと結婚できるかもしれませんよ。』という美汐の言葉を浴びせられてしまった。
突然自分の名前が出てきたことに少なからず驚きはしたが、動揺はしない。
「は?倉田?って誰?」
祐一は首を傾げた。
倉田という名の知り合いはいない。
そんなことを言われても全くぴんと来ないのだ。
「知らないんですか?倉田佐祐理さん。倉田総合病院の一人娘ですけど?」
「げっ!?」
生徒会長もしているから知っていると思ったんですけど…などという美汐の言葉はもう耳に入らない。初めて名雪の、占いを聞いた人の気持ちが判ったような気がする。
確かにこれは、えげつない。
抽象的な表現でぼかされた占いは鼻で笑い飛ばせるが、多少なりとも具体的な名前や事象を出されると真っ向から否定するのは難しい。
それがまんざらでもない相手なら尚更だ。
「え〜とですね、この本の解説によると相沢さん…つまり、”動かすもの”はですね……。」
「ちょっと貸せっ!」
祐一は美汐の手から本を奪い取った。
彼がどんな解釈をするのか、と興味深げに近寄ってきた美汐の手から鞄を奪い、残りの本も全て手にする。
「……没収。」
「ぅわっ!ちょ、ちょっとそれは困りますっ!!」
美汐は慌てて本を取り返そうとしたが、祐一は素早く身を翻して距離を取った。
陸上部に所属している、とは言いながら、さすがに幽霊部員。運動は余り得意でなさそうだ。
美汐はバランスを崩してばったりと廊下に膝を突いてしまった。
<続き>