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| 第10話 偽りのヒロイン:Bパート | 目次 |
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「まぁ、そう言うわけで今日は学食なんだ。」
祐一は疲れたような顔を北川に向けた。
北川の隣には香里が、そして更にその向こうで名雪が身を隠している。
「相沢、お前の主張はよく判った。」
北川は学食に並ぶ長蛇の列を見ながらそう答えた上で、窓際の一角を指さした。
「そう言うわけで、オレと美坂チームは飯を取ってくるから、お前と水瀬チームはあそこの席を四人分取っておいてもらう。」
「どう言うわけだよ?」
祐一は不満げに北川を睨んだ。
お昼休みの学食はいつの時代も大盛況だ。
そんな人混みの中で”噂の二人”が仲良く席取りをしていたら、根も葉もある噂になってしまう。
「おや、相沢。忘れているようだが、お前は非常に弱い立場にあったのだぞ。」
北川はにやにやしながら、祐一を見下ろせるように背伸びをした。
(なんだっけ?)
祐一は首を傾げたが、何か良くないことがあるような気がしてならない。
「ふふ。先週の土曜に何があったのか、噂が広がってはまずいだろう?」
(先週の土曜………ああ、そう言えば………名雪との非常にやばい会話を聞かれていたような………。)
祐一の背中には既に冷たい汗が流れていたが、北川は攻撃の手を緩めようとはしない。
「あまつさえ、相沢、お前は俺の折角の助け船を拒否して陸上部へ入部しただろ?つまりそれは”あの程度の話ならばれてもおっけ〜”という姿勢だと思うんだが……?」
「あ、いや、俺は奇術部に……。」
入りたい、と言いかけると、香里が意味深な笑顔を作る。
(……気持ち悪いなぁ……。)
祐一は仕方なく北川の指示通りに名雪と二人で場所取りに行くことにした。
「名雪に相沢君、注文は?」
香里が二人に笑顔を向ける。
祐一にとってはその笑顔こそ気味が悪い。
「わたしAランチ。」
「…また?」
名雪の注文を聞いた途端、香里が眉をひそめた。
「あんた、学食来るといっつもAランチね。」
「うん、好きだから。」
「たまには違うの頼みなさいって。」
「学食はたまにしか来ないから大丈夫だよ。」
「まぁ、いいけどね…。」
微笑ましいやりとりが繰り広げられているが、学食初心者でメニューの判らない祐一には何の役にも立たない。
「それじゃ、相沢君は?」
知らないと判っていてそう聞いてくる香里がそこはかとなく憎らしい。
頭に来るので意地でも香里には聞かずにメニューを頼もうと思うが、言ってみて『それは無いわよ。』と言われるのも癪だ。かと言って名雪と同じものを頼むのも憚られる。
「それなら俺はランチAだ。」
祐一が思案の末に出した結論だ。
カレーなどの定番ものや親子丼などの丼ものならあるのだろうが、そんな安易なメニューで『逃げた』と思われたくなかった。
「お、お前凄いな…。」
「凄いわね、相沢君。」
「びっくり……。」
3人は言葉こそ違え、一様に驚いた。
結果的に同じものが来ることになる訳だから、祐一のその無謀な挑戦…くそ度胸とも言う…に驚いた、と見ても良いだろう。
祐一は自嘲気味に笑いながら席に座った。
何と言っても今日ばかりは折角の『名雪と二人きりになれる機会』を逃すわけにはかない。
「逃げただろ…。」
祐一は目の前に名雪が座るのを待っておもむろに話しかけた。
「えっと…何のことかな?」
とぼけているが、激しく泳ぐ名雪の目の動きから、今朝のジャムのことだと薄々感じているようだ。
「あのジャム、凄くうまかったな。」
「えっ!嘘?」
見え見えの誘導尋問にあっけなく引っかかる従姉妹。
先が思いやられるが、この場合は非常に有り難い。
「…やっぱりか。」
「あ……。」
名雪は、しまったという風に口元に手を当てた。
手遅れなのだが、そう言った仕草をされると、まぁいいか、という気分になる。
祐一はそれ以上は責めず、質問の矛先を変えることにした。
「あれ、何のジャムなんだ?」
「わたしも知らないんだよ…。怖くて訊けなかった…。」
秋子に育てられた名雪なら何か知っているに違いない、と思ったのだが、教えてもらえないのは名雪も同じらしい。
なにしろなんとも形容しがたい味だった。
「でも、お母さんの一番のお気に入りらしいよ。よくわたしも勧められるんだけど…。」
それは、とてつもなく迷惑な話だ……。
祐一と名雪は、はぁ…、と二人揃って長いため息を吐いた。
「…どうしたの?」
からかおうと思って大急ぎで戻ってきた香里が、予想外に暗い二人の雰囲気に驚いてそう言った。
「こんなに明るいうちからため息なんて、あんまり健康的じゃないわよ。」
「うるさい、お前だってあのジャムを食ったら…。」
祐一の言葉が終わるか終わらない内に、香里の表情は早くも引きつっていた。
「…え、あのジャムってまだあったの?」
「香里、知ってるのか?」
「昔、名雪の家に遊びに行ったときに…。」
「そうか…。」
皆まで言うな、とばかりに祐一は顔を伏せた。
あれを味わっていたと判った以上、香里はもはや同じ痛みを共有する仲間だ。
香里の言葉から、あのジャムが昔から秋子のお気に入りだったことが明らかになり、これまでもそしてこれからも、食卓に供されるものであることが判った。
しかも、祐一は居候………。
「「「はぁ……。」」」
今度は、3人揃ってため息をつく。
「な、なんだなんだ?こんなに明るいうちからため息なんて、不健康だなぁ。」
残りの料理を持って戻ってきた北川が、どよどよした雰囲気に驚いて思わずそう口にした。
「「「うるさいっ!!!」」」
3人の悲痛な叫びは、しかし、まだあのジャムを賞味していない北川には全く届かなかった。
「で?これはなんだ?」
祐一は目の前に広がる料理に一瞥をくれてから北川に問いかけた。
「ランチAだ。」
北川はカツカレーを淡々と口に運びながら答えた。
名雪は全く他人事のように自分のAランチを幸せそうに味わっている。
ちなみに、祐一の目の前にあるものは名雪が頼んだAランチとは似ても似つかぬ代物である。
Aランチは女性好みの華やかなピラフにスープ、サラダと苺のムース。まるで喫茶店のランチメニューのようだ。
ランチAは、というと、得体の知れない魚の煮物に、これまた素性の知れぬ具の入った炊き込みご飯、見たこともない山菜のお浸しに定番の漬け物。まるで定食屋の試作品と言った姿。
「AランチとランチAが違うなんて一言も教えてくれなかったじゃないか!?」
「だからみんなで凄いな、って言ったんだろ?」
北川は薄ら笑いを浮かべながら答えた。
言われてみれば確かにあの反応は不自然だったような気がしないでもないが、それにしても不親切極まりない。
祐一は選択のやり直しを図ろうと、ちらりと後ろを振り返ってみた。
だが学食はまだ大盛況で、今更並び直していては間に合わない。
「悪い悪い、相沢がすっかり馴染んでいるからちょっとからかってみただけだ。そいつは俺のおごりってことで。」
北川は相変わらず笑顔を絶やさずにそう言った。
祐一は苦笑いしながら頷いた。
この手の悪戯は祐一もよくやったりやられたりするし、本気で怒るのも大人気ない。
話の種にもなるだろう。
「まぁ、ランチAは試作メニューだから低料金っていうメリットはあるわよ。」
「嬉しくない情報を今頃ありがとう、香里。」
(まぁ、見た目は悪くても一応食えるものを出しているんだろうから……。)
祐一はままよ、とばかりに一気にそれを口の中に掻き込んだ。
「ん、結構いけるかも……。」
見た目にはまだまだ改善の余地があるが、味自体は悪くない。
試作品とはいえ、さすがに客に出すだけのことはある。
「へぇ、そうか?じゃあ、そのうちメニューに入るかもな。名前は変わるだろうけど……。」
北川はそう言って、『ランチAっていうのは仮の名前なんだ』と付け加えた。
試作品とはいえ、このくらいの味なら別に敬遠する必要はない。
ボリュームも多いし、何より安い。
小遣い日の前の苦しい時期に積極的に利用するのも良いかも知れない。
「わたし苺大好きだよ…。」
そんなことを思案している祐一の目の前で、名雪は満足そうだった。
その幸せそうな顔を見れば、名雪がAランチにこだわるのは、他のメニューにはついてこないデザートのイチゴのムースが目当てだということが一目で判る。
「あたし、Aランチのメニューは全部暗記してる自信があるわ…。」
香里はため息混じりに親友の顔を眺めていた。
学食の混雑は収まるどころかどんどん増しているように思える。
4人でどっかりと席を占拠しているのは悪いと、食後の余韻もそこそこに出てきたが、北川は偶然出くわした他のクラスの知り合いと話し込んでいるようだった。
「名雪、時間は?」
「えっと…わ、まだ20分もあるよ。」
名雪は目を丸くして驚いた。
確かに、あれだけの大騒ぎをしていながら20分余りで昼食が済んだというのは驚きだ。
しかも、名雪が苺ムースを丹念に味わったにも関わらず、だ。
「奇跡だな。」
「そうだね。」
「あんたたちの会話を聞いてると、奇跡が安っぽいものに思えてくるわ…。」
嬉しそうに頷き合う二人の会話を、冷たい言葉が切り裂いた。
振り向けば、心持ち唇を尖らせたまま表情を固めた香里が、冷ややかな視線を二人に送っていた。
「そうか?だって、俺はあんな不思議なもの食わされてたし、名雪は名雪でのんびり食べていて、なおこんなに余裕があるなんて、奇跡っぽいじゃないか……。」
「相沢君、奇跡ってね、そんな簡単に起こるものじゃないのよ。」
香里はつっけんどんに祐一を突き放した。
だが、香里の今度の態度には祐一も見覚えがある。先週クラスの誰かがうっかり漏らした”神様”という言葉に対して取ったものとよく似ているではないか。
香里はそう言った非科学的な表現が嫌いなのかも知れない。
「や、確かに奇跡って言うのは言い過ぎかも知れないけど、なんていうか、ちょっとした表現じゃないか…?」
祐一はおどけた表情で場を和ませようとした。
しかし、香里の方は少しも表情を崩そうとしない。
「冗談よ、さ、行きましょうか。」
蔑むような一瞥をくれてから、二人を追い越してさっさと歩いていってしまった。
「なぁ、名雪?」
香里の態度に呆気にとられていた祐一は、その背中が見えなくなったのを見計らって名雪に呼びかけた。
「うん?」
「今日の香里、機嫌悪いか?」
そう聞いてみてから、同じような質問を何日も繰り返しているな、と気がつく。
「そうみたいだね…。」
「何でだろう…?」
「そんなの分からないよ…。」
つきあいの長い名雪が首を傾げているくらいなので、つきあいの短い祐一に判るはずもなかった。
はっきり言えるのは、ここ数日香里がずっと情緒不安定なことだけだ。
祐一は無意識のうちに、香里は既に爆発しそうなほど怒っているのではないか、と感じた。同時に、もう一杯一杯になっている緊張感があるような気がする。
「……こわっ……。」
身震いを一つしてからもう一度名雪に話しかける。
「まだ時間あるなら、天野の所に行くぞ。」
「えぇっ!?」
「俺は一年のクラスの場所を知らないんだからお前が案内しないとダメだろ?」
名雪はあからさまに嫌そうな顔をしたが、何しろ現金入りの財布が問題なのだから問答無用だ。
それに、土曜のあの一件について、一言文句を言ってやりたい思いもある。
祐一は名雪を促して美汐のところへと向かった。
教室に残っていた同級生がざわめいている。
「来たわね……。」
天野美汐はそっと顔を上げた。
1年の教室に2年の生徒がやってくるのは珍しい。
きっと彼女が来たに違いない。
無用な誤解が広がるよりは自分から向かっていった方がいいだろう。
美汐は立ち上がって廊下に出ていった。
「先輩、残念でしたね。選考会……。」
美汐は落選したであろう部長に向かって話しかけた。
あの事故を避けるにはゆっくり走るより他無く、そうすれば選手選考から漏れる、と言う道理だ。
「あ、うん。結局長距離になってしまったけど、わたし頑張るよ……。」
そう答えてから『天野さん、こんにちわ』と挨拶して、そこで初めてなんとなく違和感があるかも?という顔をしているこの先輩をからかうのはいつも楽しい。
だが、今日の名雪の答えは美汐の気分を損ねるものだった。
「え?選手になった、ってことですか?」
「うん、そうだよ〜。おかげで反省文提出しなくて済んだよ。」
嬉しそうに目を細める名雪の顔を、美汐は怪訝な面持ちで見つめた。
いつもは自分の前に来るとおどおどしているこの先輩がなんとなくリラックスしている。
空気が違う。
(なんなの?)
首を傾げてみて初めて、美汐は名雪が一人で来たのではないことに気がついた。
名雪の後ろにいる男子生徒も、2年生だったのだが、男子の制服は女子よりも学年の見分け方が困難なので、今の今まで気がつかなかったのだ。
そして、彼こそが空気を変えた張本人だと悟った。
「なるほど。本家さんと一緒だったんですか。それじゃ敵いませんね……。」
美汐は一人納得して首をゆっくり縦に振った。
祐一と名雪は訳が判らず互いに顔を見合わせる。
「場所を変えましょう。ここは人が多すぎます。」
美汐は学年に似合わぬ落ち着きを披露して、二人の先に立って歩き始めた。
<続き>