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| 第9話 医は神術:Dパート | 目次 |
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「はい、沢渡です。」
電話は長い待機音の後でようやく繋がった。
真琴のような少女でも歩いていける距離と、沢渡という珍しい名前。それなら町内の沢渡さんの家をとりあえず当たってみよう、と言う祐一の推理に従っての行動だ。しかも有り難いことに、水瀬家にあった電話帳に載っている”沢渡”は一軒だけだった。
「もしもし、こちらは水瀬という者ですが、沢渡真琴さんのお宅でよろしかったでしょうか?」
祐一が『水瀬』と名乗ったのを聞いて名雪が赤くなっているが、この際放っておく。
からかうのは楽しそうだが、あくまでも目的はこの沢渡が真琴の家かどうかの確認だ。
「はい、そうですが……。」
祐一は名雪に向けてぐっと親指を立てた。
快哉を叫びつつ、内心ではほっとしていた。
(最近は電話帳に名前を載せている人も減ってきたからな……。)
都会では特にそうだが、名雪の住んでいるこの辺りはまだまだ電話帳が名簿の役割に近いようだ。
「あのですね、お宅の真琴さんのことでちょっとお話があるんですけども……。」
祐一は逸る気持ちを抑えつつ、失礼に当たらないように言葉を選びながら話し始めた。
だが、そんな祐一の心配は杞憂に終わる。
「あの……取材でしたらお断りしているのですが……。」
「は???」
先方の返事が祐一の予想を遙かに超えていたので、思わず素っ頓狂な声が飛び出してしまった。
だが、そんな祐一の反応すら、先方の想像のうちには入っているようだった。
「ご立腹はもっともかとも思うのですが、なにぶんにも家を飛び出した子ですから、私どもとしてもなんとも言いようがないのです。」
そらみたことか、やはり家出少女ではないか、と勝ち誇る気分にはなれなかった。
それほどに、真琴の母親の声は憔悴しきっていた。
これまでにも転がり込んだ先の家から相当な抗議が届いたのだろう。
今更同じことを繰り返すのは酷だ。
祐一は腕をぎゅっと掴んでいる名雪の方を見て、優しく微笑んだ。
『大丈夫、怒らないから。』
小声でそう言って安心させておいて、再び受話器に向かう。
「いえ、真琴さんの家が判れば良いんです。真琴さんはこちらでは元気にやってます。今は寝ていますが……。もともと不意にお客の増える家ですし、大歓迎……。」
祐一は全ての言葉を話すことが出来なかった。
「……は?まことがそちらにご厄介?何のことですか?」
今度は受話器の向こうから、そんな素っ頓狂な声が飛んできていたからだ。
「え〜と、沢渡真琴さんのお宅でよろしかったんですよね?」
祐一は混乱する頭でもう一度確認した。
「はい。数年前までは一緒に住んでいましたし、それまでは確かにさわたりまことでした。」
名前の部分を一文字一文字区切るように読み上げる。
なんとなく、嫌な感じがする。
祐一はさりげなく名雪を電話機から遠ざけ、受話器を身体で隠すようにした。
そのおかげで、次に続いた言葉は、名雪の耳に届かずに済んだようだった。
「妖狐の話は良いんだろう?」
北川は目を輝かせながらそう切り出した。
もともとこの地には狐狸の関わる民間伝承が多く残されている。
特に、妖狐と呼ばれる化け狐が登場する話は具体性に富んでおり、化け狐と恋に落ちて山に消えた女性の話だとか、狐に守られた話といったおとぎ話がほとんど事実として語られていた。
北の地に現れた”治癒の少女”の噂もまた、突然産まれたものではなく、もともとそういう不思議な力を持つものがある、という伝承がベースにあってのものなのだ。
「俺は彼女が本当に動物を治療するシーンを何度も見ているんだ。」
獣医が匙を投げるような致命傷を負った動物でも、いや、時には既に死んでいる生き物ですら”生き返って”きた。
そういった描写はまさに倉田が目撃した光景そのものだ。
「だからどうした?俺が見たところ、あの傷はいつも偽物だったぞ。」
久瀬はつまみに手を伸ばしながらそう言った。
確かにそれらの”傷”は獣医を目指しているわけでもない、動物に関しては素人のはずの久瀬や倉田が、テレビの画面を通じて見ても判るほどひどい出来だった。
だが、北川はそんな久瀬の意地の悪い指摘に、少しも怯まずに首を振った。
「俺はリハーサルで見ているんだ。リハーサルではヤラセをやる必要がないからな。だが、残念なことに、いつもいつも彼女の治療が上手く行く訳じゃなかったんだ。今は多分そう言うのがあった方が受けるんだろうが、あの当時は本番で”今日はダメでした、残念でした”という番組を作ると即、首が飛ぶような時代だった。俺の上司はその二つを天秤に掛けてヤラセを選択したんだ。」
リハーサルでは上手く行っているのだから嘘ではない。特に問題ないだろう、というのがその根拠だ。
カメラはリハーサル時点から回し、上手く行ったらその映像を使う。それで良いではないか、というわけだ。
上手く行くときはすぐに判る。
彼女が木剣を握った時に刀身が白い光を放てば、その時は確実に成功する。だがそんなことは滅多に無く、大抵は剣全体が白い光を帯びる程度だ。その僅かな光を傷口に注ぎ込むように剣で突く。傷口がないときは身体の隅々を撫でるようにして、全体に光をまぶしていく。そうすると身体がじわじわと動き始めるのだ。
「だが、ある日を境に彼女の力は完全に失われた。本格的なプロデュースを始める矢先の出来事で、その一件で俺の上司は降格さ。」
「あれ?そうだったか?確かもっと別な不祥事だったような……?」
久瀬は北川の話に首を傾げることを生業とでもしているかのように、またも北川の話の腰を折った。
折られた方も慣れたもので、気を悪くするどころかそれを合いの手にして話を続けた。
「いや、あの話は前々からあったのにそれまでは庇っていたんだ。もともと神狐をネタにして番組を作るなんてとんでもない、という投書も多かったからな。治癒の少女の力が怪しくなってきたんでもろともに切って捨てたんだな。要するに、どこの世界もどろどろしてたって落ちだ。」
北川は自嘲気味にそう言うと、一気に杯をあおった。
政治的な腐臭を嫌って飛び出した先は、もっときつい臭いのする場所だった、と言うわけだ。しかも、上司が消えた影響で出世の道が開けたことで、もはやその世界から逃げ出すことも出来ない。
「さて、川澄舞、というのが倉田が見た”治癒の少女”なのか?」
北川は気を取り直してそう話しかけた。
じっと黙っていた倉田は一旦不思議そうに北川を見た後、小首を傾げながらゆっくり頷いた。
「多分な。だが、どうしてそんなことに拘るんだ?」
倉田は自分の疑問を素直に口に出してみた。
北川が余りにも傾倒しているようなので些かでもそれに疑問を呈することが躊躇われたのだが、どうしても聞いてみたくなったのだ。
幸いなことに北川は倉田の質問にも気を悪くすることはなかった。
「ああ、お前は知らないのかな?伝説によると”治癒の少女”は一つの時代に一人しか産まれないはずなんだ。しかも、遺伝もするらしい。だが、”川澄”が持っている力はそっちの治癒じゃあないはずなんだよ。」
酔っているせいか、北川はまた新しい言葉を使った。
予備知識も何もない倉田や久瀬には彼が何を言っているのかさっぱり判らない。
それを指摘すると、北川は今度は少し面白く無さそうな顔をした。
余程酔っているのかも知れない。
「いいか、この地に伝わる伝承では、運命に関する6人〜7人の能力者が常に存在する。それぞれの力は限定的なものだが強大だ。そして同時代に一人しかその力を受け継ぐ者は現れない。このうち、沢渡は運命に”抗う者”。川澄は本来運命に”従う者”なんだ。」
「なぁ、その力って言うのはどうやって受け継ぐんだ?」
倉田は真剣な表情で問いかけた。
『我は運命に抗う者』
川澄”舞”は確かにそう言った。
だが、もしそれが”沢渡”の力なのだとしたら……。
倉田は娘の親友の顔を思い浮かべた。
力を失った沢渡真琴が平々凡々と生きていたならそれはそれで良い。
だが、今彼女は”あらたの会”なるものの代表に担ぎ出されているのだ。
恐らくは彼女の過去を知った何者かが、あるいは、彼女自身が、治癒の少女の幻影を望んでそう言った団体を作り上げたのだろう。もし彼女や彼女を取り巻く人間が、”今に生きる治癒の少女”の存在を知ってその力の奪還を図ったとしたら……。
倉田が娘に注意を喚起したいのもその点なのだが、娘は倉田と顔を会わせただけで逃げ出してしまう。まして川澄舞の名前を出そうものなら、『舞の力を悪用して病院を拡張するつもりでしょう?』などと勘繰られて一層嫌われてしまう。だが、もし具体的な危険や方策を示して佐祐理に伝えられれば、あるいは話を聞いてもらえるかも知れない。
「俺も詳しくは知らないが、大概の場合は親子間で受け継がれるらしいというのは聞いたことがある。なんでも、それぞれの力を受け継ぐには審査のようなものがあるらしいんだ。もしそうだとすると、親子の方が有利なのは間違いないだろう?」
なるほど、と倉田はとりあえず安心した。
審査があるなら、それによって保証される資格のようなものがあるのだろう。
だとすれば、沢渡真琴が力を奪われた、逆に川澄舞から力を強奪する、などという事態は考えにくいことになる。少なくとも、川澄舞が身体の危険に曝されるということは無さそうだった。
(まぁ、今まで無事にいられたのだからそれもそうか……。)
伝承は数百年の歴史を持ち、沢渡真琴が治癒の少女だったのもおおよそ10年も前の話だ。あらたの会が活動を始めたのも数年前。その力が奪還できるものならば、沢渡真琴が川澄舞から力を奪い返そうとする動きがもっと早くあってもよいはずだった。
「そうか。だとすると、あんまり北川の興味を惹く話じゃなかったな。済まない。」
倉田はぺこり、と頭を下げた。
北川は倉田が沢渡真琴の話を知っているものだと思ったに違いないのだ。
「良いって良いって。それに、そうは言うけど、俺にとっては結構興味深い話だったんだぜ。」
北川は頭を掻きながら倉田に手を振った。
”治癒の少女”が二人いたとはここにいる全員が気がついていなかった。
北川にとってはこれまで集めた情報の齟齬の原因の幾つかが解決できて大助かりだったのだ。
「そうだそうだ。だいたい、お前が変なマイクを仕掛けるからこうなったんだ。気にしなくて良いぞ。」
久瀬はそう言いながら北川の目の前から刺身を奪い取った。
それも、北川の取り皿の中に入っていた極上の大トロだ。
「あ、こいつめ!なんだかんだ言って他人のネタでただ酒飲みやがって!鞄よこせこら!」
北川は酔った勢いに任せて久瀬の鞄を奪い取ると、逆さまにして中身を畳の上にぶちまけた。
どうせろくなものが入っているはずがない、と言う北川の予想に反して、中からは重要そうな書類の山が飛び出してきた。しかも、きちんとファイルされていたので紙が広がることもなかった。おおよそ久瀬の持ち物とは思えない。
「はぁ?お前にしては珍しく仕事のファイルが入ってるじゃないか?」
北川は興醒めしてつまらなそうに久瀬に鞄を返した。
とはいうものの、返された久瀬の方でも不思議そうな顔でしげしげとファイルを眺めているから、確かに相当珍しいことだったのだろう。
しばらく書類と睨めっこをしていた久瀬はぽんっと膝を叩いて倉田にファイルを差し出した。
「思い出した。北川が余計なことしたから忘れてたんだ。俺はこれをお前に渡すつもりで今日の会合の最後まで残っていたんだよ。」
倉田は胡散臭そうな顔で古ぼけた書類の山を受け取った。
これまで久瀬が面倒以外の書類を持ってきたことがあっただろうか?
重要な書類だから、と言って渡された書類がゴルフ会員の入会案内だったこともあれば、怪しげな未公開株の共同購入を持ちかける内容だったこともある。少なくとも、久瀬の方からまともな医療関係の書類が回ってきたことはなかったはずだ。
「おいおい、そんな顔するなよ。うちの病院で検査した古い血液検査の資料、欲しかったんじゃなかったのか?」
久瀬の言葉が終わるか終わらぬうちに、倉田は脱兎の如く駆けだしていた。
廊下を駆け抜けた足音が一旦階下に消えたかと思うと、再び同じ音が戻ってくる。
「私の分の金はこれを使えっ!!」
財布を開くのももどかしく、倉田は多めに札を放り投げると再び走り去っていった。
『多すぎるぞ〜』という気の抜けたような久瀬の声が、『全部やる』という倉田の声に打ち消される頃、倉田を乗せたタクシーは早くも倉田総合病院に向けて疾走を開始していた。
<続き>