| Canon 〜外典〜 | 前話 |
| by Ophanim | 次話 |
| 第9話 医は神術:Cパート | 目次 |
-
わ〜んわ〜ん、という子供の泣き声が響いている。
「煩くてかなわん。久瀬、どうにかしてくれ。」
倉田は不機嫌そうに机から顔を上げて、同僚の久瀬に文句を言った。
「子供は泣くもんだ。」
言われた久瀬の方は一向に気にする様子もなく、のんびりと指の爪を研いでいた。
「気になって論文に集中できんよ。何だって子供が入ってきてるんだ?」
倉田はぶつくさと文句を言いながら立ち上がった。
久瀬は椅子に腰掛けたまま不思議そうに倉田を見上げた。
「ここは病院だぞ?子供くらい入るだろう?」
「だが、”ここ”に入ってくる子供はみんな眠っているはずだ。」
倉田は部屋のプレートを指さしてそう断言した。
そこには”手術室”と書いてある。
完全防音になっていてもそこら中に溢れかえる緊張感。
ここは生と死の狭間の空間だ。
そんな切れるような空気を台無しにする子供の泣き声。
「邪魔だ。追い出してくる。」
「つっても、そこで論文書いてるお前もどうかと思うけどなぁ?」
久瀬がのんびりと茶々を入れてくる。
倉田は歩みかけた足を止めて久瀬に向き直った。
「おい、人聞きの悪いことを言うなよ。言い出しっぺは久瀬、お前じゃないか……。」
人が余り来ない神経系の手術室を使って病院設立の準備をしよう。
そう言いだしたのは久瀬だった。
倉田は初めこそ難色を示したものの、結局は大筋で久瀬の言い分を認めた。
可能な限り早く独立して新しい病院を設立するために、取れる手だては全て取る。
それが勤務医の二人が密かに決めた方針だった。
倉田の方はその気になればいくらでも資金を集めることが出来たが、その方法を採ることが嫌だった。そして久瀬の方は是が非でも設立資金が必要だった。
二人が画策したのは新しい集金システム。
診療報酬が手をかければかけるだけ料金が加算される点数制から病気によって上限が固定される固定制に移行する時期にあったため、これを逆用する作戦に出るのだ。
この制度だと例えば盲腸ならいくら、と料金が決まっているため、患者が前もって治療費がどれだけかかるか判って安心して医者にかかれる反面、医者側はどれだけ手をかけても同じ料金と決まっているから、怠慢治療が発生する懸念が生じる。
そこに目を付け、二人はこれから設立する予定の新しい病院では、定まっている料金よりも『低い』治療費を『基準治療費』として設定する方針を固めたのだ。
その代わり、基準の治療費では本当に最小限の設備での治療が行われる。
それ以上の治療はきめ細かいオプションを設定してその都度追加料金を取る仕組みだ。
無論、基準の治療でも充分な快復が望めるようにするし、全員がそれを望めば赤字になる可能性が極めて高い。だが、患者が望めば個室でいつまでも入院できるし好きな料理も出前で取れる。強制ではないので医師法にも違反しない。出来るなら可能な限り手厚い診療を受けたいという心理を利用したシステムで、かつ、それを払えるのは高所得者だけのように思える。だから、取れるところからはとことん取り、持たぬ者からは取らない、という一見庶民の味方に思えるシステムだ。
だが、人の心理というものは面白いもので、いづれ必ず”オプション”を求めるようになるはずだし、二人もそれを見越している。
そして、その異端とも言えるシステムを持った病院の開設を納得させるために、莫大な裏金を払うか他を凌駕するような論文の提出か、のどちらかを達成しなければならない。
当面金の入る当てのない二人が取ったのは後者の道だった。
「あれ?そうだっけ?でも、どっちにしたって倉田。お前がお前の叔父さんの申し出を受けていればとっくに病院が二つ出来てるんだぞ?」
久瀬はからかうように、どこか投げ出すように、そう話した。
それを言われると倉田も返す言葉がない。
病院を二つ作る、となるとリスクを伴うこともあってなかなかに難しい。だが一つだけなら、二人が考案したシステムが上手く行けば、設立にかかった資金を早期に回収するだけの収益が上がるはずだ。倉田が資金援助してもらえばリスク回避の意味も持つわけで、二人が別々の病院を持つ時期も大幅に早まる計算だった。
「そうすればお前の子供だって……。」
「言うな!!」
倉田は久瀬を怒鳴りつけた。
それまで久瀬には言われたい放題だった倉田だったが、その言葉には明敏に反応した。有無を言わさぬ沈黙の怒りが久瀬を圧倒して黙らせる。
「……悪かったよ。」
ようやくそれだけを呟くと、さすがの久瀬も罰が悪そうにそれっきり黙り込んだ。
倉田の長男、倉田一弥は一年ほど前に5歳の若さで自殺していた。
彼の妻もそれを気に病んでか、程なくして亡くなっている。
どちらのケースでも、倉田は当直でその場にいることが出来ず、勤務医の悲哀を味わっていた。
そしてそれはいずれ、ただ一人残された娘、倉田佐祐理の信頼をも激しく裏切ることになる。
『パパは自分のメンツのために一弥を見殺しにした。』
彼女の心に芽生えたそんな疑惑は、ほとんど事実だった。
親の資産もある上政治家の親戚を持ち、病院設立資金の融資が持ちかけられることも多々あった倉田が、それらの話を全て断って独自病院の開設に拘っていたのは、政治家の親の反対を押し切って地盤の選挙区を継がずに医者の道に進んだ経緯があったからだ。
金にまみれた世界に嫌気が差して聖職と呼ばれる医者の道に進んだ彼が見たのは、同じように政治色の強い医者の世界だった。彼と同じような崇高な目標を持って医者を目指しながら、その裏側を知って絶望の末に医者の道を捨てていった同級生、北川は今マスコミの世界にいる。倉田が北川のようにならなかったのは、つまり、皮肉な話だが、彼がそれだけそう言った腐臭を嗅ぎ慣れていたからに他ならない。倉田はその事実を認識する度、極端なほど親戚との接触を排除してきた。
その結果が、これだ。
以来倉田は遮二無二自前の病院開設に向けて走っていた。
一日も早く、一刻も早く……。
焦れる倉田の耳に、またしても苛立たせるように響く、子供の泣き声。
「ああ、もう!」
扉を乱暴に開いて、足音も高く廊下に飛び出した倉田の前を、5歳ぐらいの女の子が泣きながら歩いていった。
看護婦に手を引かれて……。
「おい!雨宮君!!」
倉田はほとんど怒鳴り声で看護婦を呼び止めた。
彼女が女の子の手を引いて”更に奥に”行こうとしていたからだ。
「はい?」
雨宮と呼ばれた看護婦は怒鳴られたと気付いていないのか、普段と全く変わらぬ調子で振り向いた。
白衣がまるでドレスのようによく似合う。
「…はい?じゃない!どこに連れて行くつもりだ?ここは関係者以外立入禁止だ!」
倉田は一瞬言葉に詰まったのを誤魔化すように、更に激しく怒鳴りつけた。
だが、まるで柳に風、糠に釘。
「あら?」
雨宮は涼しげに倉田の方を見つめながら、小首を傾げた。
その余りの余裕に、倉田の方が毒気を抜かれた。
極寒の気候を予想して重装備で外に出てみたら、家の外はもう春だった。
今の状況を説明すると、例えばそんな感じだ。
「大丈夫ですよ。」
雨宮は自分の居場所が分からずに困っている女の子に、いや、怒りの矛先のやり場を失って途方に暮れている倉田に、あるいは、その両者に向けてそう言って微笑んだ。
「な、何がだ?」
「この子は関係者ですから。」
雨宮はそう言ってまた歩き出した。
止めなければならない。
そのために出てきたはずだった。
だが、倉田は彼女を止めることが出来なかった。
彼に出来たのはただ二人の後を着いていくだけ。
雨宮は女の子の歩幅に合わせてしずしずと歩いていく。
肩を掴めば止められる。
だが、倉田は何かに導かれるように二人に着いていった。
手術室を越えて、その先にある、霊安室へと……。
「もう死んでるだろう?」
何度、同じ言葉を繰り返したことか?
どれだけの回数、自分の目を擦ったことか?
だが、目の前に広がる光景は変わらない。
信じがたいことが起きている。
少女の母親だった躯は、魂の柩としての役割を終え、生物から物質へと変わったはずだった。
つい先刻、病院脇のベンチで発見された母子は、生ける者と死せる者に分かれて見つかったはずだった。
そして、救命措置の甲斐もなく帰らぬ人となった少女の母親を霊安室に収め、少女の引き取り手を捜す手続きをしていたはずだった。
「少し静かにしていて下さいね。」
雨宮がにこやかに倉田に話しかける。
「必ず生き返る、と信じることが何より重要なんですから。」
おおよそ、医学の道に進んでいる者の言葉からは程遠い言葉が雨宮から漏れる。
回復する、治る、元気になる……。
こういった言葉ならば倉田だって使う。
だが、”生き返る”だと……??
陳腐に聞こえる言葉。
それでも、倉田はその言葉を笑い飛ばすことが出来なかった。
「待たれよっ!いまわのものっ!!」
何度も何度も、少女が母親の身体の上で木剣を振る。
その度に、母親の身体がぴくり、と動くのだ。
『運命は定まっているのだ』
不意に、倉田の脳に声が響いた。有無を言わさぬ圧力。何の疑いもなく、”そうだよな”と思えてしまう、常識と言う名の固い壁。
だが、それに呼応して少女が叫ぶ。
「彼の者は今なお生きる権利を持っているっ!我は運命に抗う者也っ!」
5歳の少女の言葉とは思えないが、その手にあった古ぼけた木剣が神々しい光の色を発するにつれて、その言葉が彼女にぴったりなような気がしてくる。
そして光の色が白に近づくに従って、倉田の目にも母親の身体にまとわりつく黒い霧が見えるようになってきたような気がする。少女が剣を振るう度、それが薄れていく。そして、最後までこびりついていた霧を祓った少女が、剣を母親の胸の上に当てると、剣を覆っていた白い光が母親の身体に吸収されていった。
「……お母さん……。」
少女は年相応の幼さに戻り、母親の身体にすがって涙を流した。
(だから、その人は死んでる……。)
そう口にしかけた倉田の瞳に映る、少女の頭を撫でる母の手。
「ば、馬鹿な……!?」
倉田が叫びかけると、雨宮が『静かに!』と唇に人差し指を当てて倉田を制した。
「そんなことありませんよ。医学の基本です。」
”必ず治ると信じること”
雨宮は長い髪をいじりながら、そう呟いた。
馬鹿な、と笑い飛ばすところだ。
少なくとも、数分前までの倉田なら必ずそうした。
だが、今の倉田にはそれが出来ない。
それは倉田が長く忘れていた、彼自身の初心でもあったからだ。
「あぁ……。あなたには、苦難の道を進ませてしまったわね、舞……。」
俯いている倉田の耳に、一部始終を盗み見ていた久瀬の耳に、少女の母親の優しい声が届いた。
「舞?」
北川は倉田を見ながら首を傾げた。
メモを取る手を止め、腕を組んで再び首を傾げる。
「舞?」
「ああ。川澄舞、だ。」
繰り返した北川に、倉田もやはり同じ名前を繰り返す。
「おいおい、看護婦はもう雨宮じゃなかったはずだぞ?」
「あ?そうだったか?」
久瀬がそう指摘すると倉田の自信も揺らいでしまう。
だが、娘の所に来るようになった少女は、確かにあの川澄舞だ。面影も仕草も彼女が舞であることを示している。
そう主張する倉田を、北川は激しく首を振って否定した。
「俺が見たのは”沢渡真琴”だ。それは間違いないんだ。覚えてないか?『治癒の少女』っていうローカル番組。」
北川は鞄の中から古いファイルを持ち出してそれを二人に示した。
”奇跡を呼ぶ治癒の少女”とセンセーショナルなタイトルが踊る、古い地方情報誌。
記事の中に見える少女の名前は北川の言う通り”沢渡真琴”になっている。
「ああ、思い出したぞ。だけど、物凄くインチキ臭い番組ですぐ打ちきりになっただろう?」
久瀬はぱらぱらと雑誌をめくりながらそう言った。
番組は毎週地域の少年少女達のペットなど、傷ついた動物達が持ち込まれ、治癒の少女、沢渡真琴が祈祷でそれを治すという大まかな流れで進められていた。
だが、ずぶの素人ならまだしも、久瀬や倉田のような医学生の目にはそれらの”傷”が偽物であり、また”病気”が単なる麻酔薬や薬の副作用を利用した偽物であることは明らかだった。また、動物は完全に回復しなければならないので、使える薬も限られる。似たような症状が毎週続けば視聴者もさすがに気付く。視聴率は最高でも10%に到達するかしないかの綺麗な放物線を描いて落ちていった。
番組は公平に見て失敗だった。
『治癒の少女』というタイトルを覚えていても、『沢渡真琴』という名前を覚えている人間は少ないだろう。二人がそれを覚えていたのは、そんなインチキをいやしくも医学を志した北川が信じるというのが意外だったからだ。
「いや、俺は本当に見たんだ。この子が奇跡を起こす瞬間を。」
北川は熱っぽく語り始めた。
<続き>