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| 第9話 医は神術:Aパート | 目次 |
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「ふぅ。」
地元の医師会の会合を終えた倉田はため息をついた。
(どうしてこう、みんな判ってくれないんだろうなぁ…。)
一人、二人と去っていく医師達を睨み付けてやりたい衝動に駆られているのを隠すため、倉田は頭を抱えて俯いた。
そうでもしなければ怒鳴りだしてしまうかもしれない。
ここ数回の会合は診療報酬の増額が主要な問題にされていた。
大半の医師は一も二もなく賛成していたが、診療費の値上げは一層患者の量を減らすのみで長期的には結局自分の首を絞めることになる、と倉田は思っている。
加えて、値上がりした診療費は患者の足を病院から遠のかせる。
患者が気軽に病院に来られなくなれば、患者の通常の状態も判らなくなる。
普段から『この人は平熱がどのくらい』、『この人はこの薬にアレルギー』などの情報を持っているのとそうでないのとではいざというときの判断の遅れになりかねない。
そんな、病院に来たときには既に手遅れ、という状態を作らないようにすることも医療の役割だと思うのだが?
「倉田。」
不意に、抱え込んでいる倉田の頭に声がかけられた。
聞きたくもないが聞き慣れてしまったその声に、またか、と思いながらもつい笑顔が出る。
倉田は折角浮かんだ笑顔を無駄にせず、そのまま顔を上げて声の主に向けた。
久瀬と倉田は何故か昔から気があった。
意見も主義主張も異なっているにも関わらず、不思議と互いに互いの考えていることが良く判る。
会えば最終的には必ずと言っていいほど喧嘩になるのに、ちょっとした会合があると互いに顔を探しあってしまう。
久瀬と倉田はそんな関係だった。
久瀬は人が減ってきて空いていた倉田の隣に腰を下ろした。
見栄のために着ているとしか思えない白衣をはだけると、腰の葉巻入れから外国製の高そうな葉巻を取り出しておもむろに火を付ける。
一口吸って倉田に勧め、瞬時に断られるところまで、いつも同じことを繰り返している。
いわば、二人が確かに会った、と言う儀式のようなものだ。
「こう会合が多いと困ってしまうな?」
久瀬は再び葉巻を口に当てながらそう言った。
「あぁ。」
頷きながら、たまには完全に意見が合うこともあるものだ、と倉田は内心驚いた。
彼とは未来永劫平行線だと思っていたのだが…。
倉田は少し嬉しくなって自分の事情を打ち明けた。
「患者を残してきたのが心配なんだ。」
「そうか?俺は折角の休日が台無しになって憂鬱なんだ。」
久瀬は面倒臭そうに灰皿を手元に引き寄せながらそう言った。
(………まぁ、そんなことだろうと、判ってはいたんだが…。)
少しの間でも期待した自分が馬鹿だった。
たまに意見があってもこんな具合にその理由が全く別の方向を向いている。
それが久瀬だったはずではないか。
「また何か難しいことを考えているだろう?お前はいつもものを難しく考えすぎるからな。」
久瀬は眉間に皺を寄せた倉田の顔を見てそんな軽口を叩いた。
「そう言うお前はもう少しものをまじめに考えた方がいいぞ。」
思わずそう答える倉田の眉間からはあっと言うまに皺が消えていた。
久瀬が来ると、普段は寡黙な倉田もついつい饒舌になってしまう。
生理的にどうしても合わない、と言う人は良く聞くが、その逆もいるのだ、ということを倉田は彼に会って初めて知った。
(そうだ。)
倉田は一息ついて軽くなった肩を回しながら考えた。
折角こうして顔を会わせたのだ。
今日の会合の主題について聞いてみたらどうだろう?
「久瀬、お前はどう思う?」
「あん?診療報酬の話か?」
倉田は薄紫の煙の向こうにいる久瀬に向かって話しかけた。
今日の大きな話題は二つあり、その片方が診療報酬に関する物、もう片方が代表が逮捕された『あらたの会』への対応の話だった。
どのみち両方の議題について聞いてみるつもりだったので、倉田はとりあえず頷いた。
久瀬は興味なさそうに紫煙をくゆらせた。
「別に?良いことだ。客が減っても収入は大して変わらず、俺はその浮いた時間にゴルフが出来る。」
”客”が減る、と言う認識は一致しているがその先が違う。
倉田は渋い顔を作ったが、久瀬は構わず続けた。
「本当に病院に行く必要のある奴だけが来るようになるから客が待たされる時間も減る。俺も遊べる。何が悪いんだ?」
発言の最後に来る一言一言が余計だが、倉田とは違った切り口からものを見ているので大いに参考になる。
確かに急病患者が運び込まれてきた丁度そのときに、ベッドが足りなくて唇を噛んでいる医者は大勢いる。
建前では患者の病状によって分け隔てはしないことになっているが、現実にはそうはいかない。軽度の入院患者には申し訳ないが、より切迫した患者へのケアが優先されてしまうことはままある。久瀬に言わせれば『金払いの良い患者と悪い患者との間にも差がある』のだが、そこまではっきり口にする医者は少ない。要するに、久瀬は良くも悪くも『本音』で生きている医者なのだ。根が真面目な人間には、久瀬の毒舌は本当に”毒”だろう。そこまで判っている倉田にしても、彼と話せば話すほど気分は悪くなっていくほどなのだ。だが、そうなると判っていて聞く倉田と、そうなると知っていて敢えて答える久瀬と、どちらがより悪いのか?あるいは、どちらが、より間抜けなのか?
倉田は気分を変えるためにもう一つの議題に話を移した。
「それはそうと、『あらたの会』の話は聞いてたんだろう?」
「あぁ、聞いてた。」
二人の会話は今日の議題の話からは少し外れている。
多くの医師にとって宗教団体、『あらたの会』の内情については初耳だったかもしれないが、彼ら二人には共通の経験がある。
あらたの会が行っていた”治療”内容については一定の理解を示すことが出来た。
だが、だからこそ、そこに勧誘のために病院を利用する必要を認められないのだ。
「一体誰があんなのにベッドを提供したんだ?」
倉田は憤りを隠さなかった。
彼らの勧誘手段が完成するためには健康な人間を入院させる必要がある。そのためには当然偽の診療が必要で、医師の協力がなければそもそも勧誘の仕組みが成立しない。信者数から考えて関連した病院の数は相当な数に上るはずだ。しかも、カルテを見ても疑問点が残らないとはまた巧妙だ。医師が積極的に関与したとしか思えない。
「あぁん?それは誰でもやるだろう?うちにもいるぞ?」
「え!?」
久瀬の言葉は倉田にとっては意外だったが、久瀬にとっては倉田の言葉こそ意外だったようだ。
呆れたような顔で倉田を見ていた久瀬だったが、倉田が本気で言っていると知ると、急に真面目な顔つきを作って葉巻を灰皿に押しつけた。
「彼らが持ってくる裏金は莫大な額だよ。頼まれればどこでもいれるだろ?」
捻り潰した葉巻を灰皿の中で弄びながら、久瀬は声のトーンを落としてそう解説した。
壁に耳あり障子に目あり。
目に見える範囲に誰もいない、とはいえ油断は出来ない。
「そんな……。ベッドの数は限られているんだぞ?本当に入院が必要な患者はどうするんだ?」
倉田はほとんど立ち上がりながら食いついた。
自然に久瀬の頭の上に向かって話しかけるようになる。
年齢相応に薄くなっている髪が意外だった。倉田にとって久瀬は悩みから最も遠くにいる人種に思えていたからだ。
「知らないよ。倉田。お前は恵まれているから判らないんだ。現実には余程の大病院でもなければお前の所のような真似は出来ないんだよ。」
久瀬の表情は見えない。
だが、その声はいつものように少しふざけたような突き放したようなトーンを取り戻していた。
それがまた許せなかった。
「久瀬ぇっ!」
倉田は久瀬の胸倉に掴みかかった。
首筋を締め上げて、その細胞の一つ一つに向かって懇々と諭してやりたかった。
だが、現実には腕力に勝る久瀬が、逆に倉田の胸倉を掴んで締めている光景が展開されているばかりだ。
「聞けっ!倉田っ!」
久瀬は倉田がやりたかったことをしている。
いつもそうだ。
やり口は汚くて理想も何もないが、倉田が望んでいることを、いつもしている……。
「お前のところでやっているような慈善事業まがいの治療はある意味理想だ。医師全ての希望だよ。それを具現しているお前は凄い。だが、その資金の由来を聞かれると言い淀むのはお互い様だろうが?」
倉田の細胞に染み入るように、久瀬の言葉が言い聞かせられる。
そして、倉田はその久瀬の指摘に反論できるほど聖人ではなかった。
「そ、それは…………。」
久瀬の言葉通りに言い淀んでしまった倉田は、激しい自己嫌悪に襲われて項垂れた。
胸は久瀬の腕から解放されている。
だが、さっきよりも息苦しいのは何故だろう?
そんな倉田の様子を見て、久瀬は静かに声をかけた。
「いいんだ。金に善悪はない。あれば使うだけだ。俺も、お前も。そうだろう?」
「………。」
久瀬は無言で俯いている倉田をつまらなそうに、あるいは、気の毒そうに眺めて肩をすくめた。
どうしても『自分とお前とは違う』と思いたいのだろうから、と助け船を出してやる。
「ただ、使い道が少し違うだけだ。割合も違うがな。」
「………。」
だが、そんな程度の軽口では今日の倉田の気分は浮かんでこなかった。
ちっ、と舌打ちをした拍子にきらっと光る金属物が目に付いた。
会議室のついたての陰、目立たないように偽装したボタンの中に光るものがある。恐らくは小型マイクだろう。道理で今日の会議中マイクがきーきー言ったはずだ。
なるほど、いいこともある。
倉田と残ったおかげで夕陽の角度が変わり、このマイクを見つけることが出来た、という見方も出来る。
久瀬はマイクに向かって話しかけた。
「おい、北川だろう?今更俺達をつついてもつまらないぞ?別の方法を使うなら俺だってお前に協力してやるんだからさ。お前が知りたいのは、『あらたの会』じゃなくて『治癒の少女』の方なんだろう?情報がないこともない。だから、極上の酒とナマ2,3本ぐらい準備しとけ。飲むときは呼んでやるから安心しろって。」
さすがの倉田も顔を上げた。
北川とは二人とも古いつきあいで、事情も既に知っているのだから今更気にしなくてもよいはずだが、倉田は顔面を蒼白にしていた。久瀬にとっては北川の盗聴で他の医師がどうなってもいいのだが、真面目な倉田にとっては到底看過できないことなのだろう。
「つまらないところでけちが付いたなぁ。今日は久しぶりに楽しかったんだが。まぁ、場所を変えるか。」
このままでは倉田の口から北川の話が漏れるのではないか、と気遣った久瀬はやんわりと倉田を飲みに誘った。
「い、いや。私はもう戻って患者を診なければ……。」
「そんな震えまくってる手で執刀されたら治るものも治らんよ。」
渋る倉田を引きずるようにして引き連れて、会議室の扉を開ける。
そして二人はその倉田以上に渋い顔をした男と鉢合わせをした。
「ウィスキーやらブランデーやら、とりあえず店に置いてある高級洋酒は軒並みキープしてきたよ。部屋は離れの部屋が良かったんだろ?」
腕組みの上にこの上なく渋い仏頂面を乗せている男は他でもない、話の俎上に登っていた北川その人だ。
「お、気が利くな。」
久瀬は悪びれもせずに片手を上げて応じた。
それに応じて北川が組んでいた腕を解き、久瀬に差し出す。
「あん?握手か?何で今更……。」
「マイク返せって。」
むしりとるようにしてマイクを取り戻すと、スイッチを入れたり消したりして壊れていないことを確認する。
「言ったことは守れよ?『治癒の少女』のことだ。協力してもらうぞ?」
北川は久瀬や倉田の顔を窺いもせず、しきりにマイクをいじっていたが、ご丁寧に久瀬の『俺だってお前に協力してやる』という言葉を再生しながらそう念を押した。
「ナマがいるって言ったろが?」
久瀬は倉田の腕を握ったまま、少し小太りな北川の傍らをすり抜けて行く。
北川はマイクを鞄に丁寧にしまい込んでから、忙しく足を動かして二人に追いついた。
狭い廊下で無理矢理3人横並びになるよう身体を押し込める。
久瀬を中央に左に倉田、右に北川。
影の並び方は学生時代から変わらないが、その横幅だけが時の流れを感じさせる。
「ちゃんと日本酒もあるって。」
「ばぁ〜か、俺がナマって言ったらゲンナマの事だって判ってるだろが?」
「知るかボケ。大した情報かどうかも判んねうちから準備できっかっつの。」
(変わらないなぁ、こいつらは……。)
倉田の表情が軟らかくなっていく。
北川と久瀬の軽口を黙って聞いているうちに、倉田の心はようやく平常心に向かって上昇を始めていた。
<続き>