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「お代わり。」
唐突に会話の流れを無視した言葉が割り込んできた。
「あ、こいつめ。どうも大人しいと思ったら……。」
祐一は口の周りを肉汁まみれにしている真琴をみた。
よく見れば手もどろどろに汚れている。
みんなの注意が自分から逸れていたのを良いことに、ずっと手掴みで食べていたに違いない。
「あぅ?」
真琴は肉汁まみれの皿を差し出したまま目をぱちくりとさせていたが、祐一達の視線を受けてしおしおと皿を自分の前に戻した。
「うー……、我慢する……。」
真琴は少し悲しそうに俯いた。
どうやら自分一人で肉団子を全部食べてしまったのを責められている、と勘違いしたらしい。
「あら、遠慮しなくて良いのよ。」
秋子は肉汁でぬめる皿を嫌がりもせずに真琴から受け取ると台所へと姿を消した。
大方の予想通り、秋子は前よりも大きめの皿一杯に、ほかほかの肉団子を乗せて戻ってきた。どうやら今日もまた豪華なリザーブ陣が残っているらしい。『秋子が作りすぎるのは祐一が男だから』という祐一理論は早くも崩壊しつつある。
「わ〜い♪」
真琴は新しい肉団子を見て万歳をした。その手にも、袖口にも、べったりと茶色のあんかけ肉汁がついている。袖に至ってはもはや元の柄が判らないほどだ。
「真琴。とりあえず手を拭け。汚れてるだろう?」
真琴が手を振り回したりして肉汁を撒き散らされると被害甚大だ。
祐一は手近にあった布巾を真琴に渡そうとした。
だがそれは、受け渡しの時に真琴に触れると自分も肉汁まみれになる危険を犯すことを意味している。
祐一が躊躇している間に、真琴は布巾の受け取りをとっとと拒否する方針を固めた。
「ふん、だっ!こんなのすぐ取れるわよっ!」
真琴はべろべろっと手を舐めると、綺麗になった手を嬉しそうに祐一に見せびらかした。肉汁が涎に代わっただけで祐一にとっての危険度はほとんど変わっていない。
「……やっぱり拭け。口の周りだって汚れてるし……。」
祐一は慎重に布巾を真琴の前に置いた。
だが、自分の手はすっかり綺麗になったと思いこんでいる真琴には、もう祐一が差し出した布巾を使う意志はない。真琴は今度はおもむろに袖を口の周りにくっつけて、唇周辺の肉汁を擦り落とした。
「あ、おいっ!」
祐一が困ったような大声をあげたのを見て、真琴は一層調子に乗る。
袖口の汚れは今度は胸の辺りに撫でつけ、手にくっついた分はまた舐め取って綺麗にする。
「ほら、取れたでしょ♪」
涎まみれの手を祐一に広げて見せている真琴はとても満足そうだ。
祐一はゆっくりと時間をかけて真琴の隣に移動すると、無言で真琴の頭をひっぱたいた。
「イターイッ!何すんのよぉっっ!」
「何すんのじゃないっ!服が汚れちゃっただろっ!!」
祐一の指摘通りだった。
真琴の服は胸周りから袖周りに至るまで、そこらじゅうに肉汁の染みができていた。特に腕の部分はひどくて、肘の辺りにまで途切れることなく染みが出来ている。初期に出来たと思われる部分では恐らく、下のブラウスにまで被害が及んでいるだろう。
これはちょっとやそっとの洗剤では落ちそうにない。
「あぅ〜、こんなの、すぐとれるわよぉ〜…。」
真琴はそう言うと、ごしごし、と素手で服を擦り始めた。
それで落ちるなら洗剤を作っている会社は商売上がったりだ。案の定、汚れはその範囲を広げることはあっても、落ちることは遂に無かった。
「あぅ…どうして……?」
「そんなんで落ちるかっ!だいたい、誰が洗濯すると思ってんだっ!」
祐一は今度は拳骨を作って真琴の脳天に一発お見舞いした……はずだった。
「……う、うぐぅ……。」
「なにしてるんだ、あゆ?」
真琴を庇って立ちはだかったために祐一の拳骨をまともに受けたあゆは、目に涙を浮かべて耐えていた。
両手で頭を押さえている仕草と、身を挺して真琴を守った勇敢な行動とのギャップが面白い。
だが、あゆが呟いた言葉。
「殴ったらダメなんだよ。」
その一言が彼女を”大人”の女性の側へと追いやっている。
そしてそれは同時に、祐一を大きく”悪者”の側へと押し出す言葉だった。
真琴の行動を責めていたように思っていた周囲の視線が、急に自分を責めるものに感じられてきた祐一は慌てて自己弁護に努めた。
「おいおい、だって、こんなに染みになったら、ちょっとやそっと洗濯しただけじゃ落ちないだろう?」
「……でも、洗濯するのって、相沢君じゃないわよね?」
「うん、祐一はしないね。」
「祐一君がするの?」
……………………圧倒的に不利だった。
同意を求めて見回した者全てから非難の集中砲火を浴びて、祐一はすごすごと席に戻った。
確かに祐一は自分で洗濯をしたことがあるわけではないが、彼が服を泥だらけにして帰ってくると、母親から『あらあら……』と困ったような顔をされたものだった。まぁ、一つしかない運動着を汚して帰ってきたりしたのだから、本当に困っていたのだろうが、どうもこの家の価値観は祐一のそれとは大いに違っているようだ。
「お代わり。」
またしても話の流れと無関係な言葉が飛び出てくる。
ほっそりした身体のどこに収納するのか、真琴はあんなにたくさん積まれた肉団子をあっと言う間に平らげていた。
秋子はそれがさも当然であるかのように皿を受け取り、また台所へと消えていく。そしてテーブルには性懲りもなく指を舐めている真琴がいる。
祐一はため息をつきながら語りかけた。
「お前なぁ……。」
「いいじゃないのよぉ。食べられるうちに食べておかないと、後からいくら後悔したってお腹は膨れないんだからぁ……。」
頬を膨らませながら抗議してくる真琴の言葉を聞いて、祐一はようやく自分の非を悟った。
祐一は疑っていたが、真琴の言い分を信用すれば、真琴には何日も食べ物を口にせずに放浪していた経験があるはずなのだ。真琴にそれがあるかどうかを判断する材料はない。持っていたレシートの日付も新しかった。だが、こうした切羽詰まったような態度や行動が、その裏付けにはならないだろうか?
(もしかしたら、本当の本当に記憶喪失なのかもしれないな……。)
祐一は初めて心の底から真琴の”記憶喪失”を信じてみる気になった。
そう考えれば真琴の奇行も理解できるし、このお人好し軍団の行動も理解できる。
何のことはない。
祐一が大きく遠回りしていただけのことだった。
真琴を見つめる祐一の目の前に、ぬっと手が伸びてきた。
「はい。お代わり。でも、お野菜もちゃんと食べるのよ?」
それまでのどたばた騒ぎなど無かったかのような秋子の声。
真琴のそれと同じように、秋子の言葉も話の流れを全く無視した発言になるのだが、こちらにはそれほど違和感を感じない。恐らくは真琴の言葉が”自分の都合”で話されているのに対し、秋子のそれが”他人の都合”が生みだした結果だと判っているからだろう。
そしてその都合を作った張本人はというと、
「あぅ〜……。野菜、嫌い……。」
と、上目遣いに秋子を見上げながら、小さく首を横に振った。
そう言われてみれば、真琴はさっきから唐揚げや肉団子と言った”肉系”のものしか口にしていない。
偏食ここに極まれり。
これなら放って置いても倒れてしまうだろう。
「まこちゃん、秋子さんが作ったものなら何でも大丈夫だよ。ボク、ピーマン食べられるようになったもん。」
あゆが顔いっぱいに笑顔を広げて秋子を応援したが、真琴は用心深くあゆと秋子を見比べていた。
二人が協力している様子はない。
だが、そう言われただけでは納得できないと言う気持ちも判る。
何しろ真琴は、あゆが本当にピーマンを食べられなかったかどうか知らないのだから。
「なぁ、あゆ。何はともあれ、食べてみせるしかないんじゃないのか?」
そう言いながら、祐一も目の前のサラダに手を伸ばした。
ひょっとしたらサラダは食べられるものだと言うことを忘れているのかも知れないし、みんなで美味しそうに食べれば以外ところりと騙されるかも知れない。
あゆは祐一の意図を察して、目の前にあったサラダを取り上げて早速口に運んだ。
ほぼ正方形に切りそろえられたレタスの上に、白、紫のタマネギと赤、緑、黄のピーマンやパプリカの千切り。
色合いが食欲をそそるが、要は生の野菜を切って出しただけ、のはずだ。
それが”料理”となるのは、やはり作る人のセンスがスパイスを利かせるのだろう。
「美味しいね。」
ぱりぱりと軽快な音を立てながら、あゆは取り分けたサラダを食べきった。
祐一も皿を持ち上げてもりもりと野菜を口に運ぶ。
その様子を真琴はじっと見ていた。
「わ、わたしもにんじん食べれるよ。」
名雪が妙な対抗心を燃やしてキャロットスティックを一本手に取った。
真琴に見せつけるように、がりっと一口にかじりつく。
「あれぇ?いつから食べられるようになったのよ?」
香里が隣で驚きの表情を作った。
どうやら名雪にも苦手な食べ物があったようだ。
そしてどちらが正しいか、と言えば、やはり頭脳明晰な香里の言葉が正しいようだ。
「…わたし、にんじん食べれるよ。」
「……無理して食べなくても良いのに……。」
虚ろな表情で同じ言葉を繰り返す名雪の顔を、香里は呆れた表情でたしなめた。
これでは折角の祐一とあゆの努力も水の泡だ。
案の定、サラダに興味を示しつつあった真琴の手は、肉団子や唐揚げの皿に戻っていった。
「う〜っ……にんじん、好きだもん。」
あ〜あ、と香里にからかわれた名雪は顔を真っ赤にして反論した。
「あんたが好きなのは砂糖で甘く煮込んだ奴でしょう?生のニンジン食べられるようになったって聞いたこと無いわよ?」
なるほど、小洒落た洋食屋のハンバーグなんかについてくるあれか、と祐一は難しそうな顔をして口の中の生ニンジンの処理に困っている従姉妹の様子を眺めた。
親友の証言によれば、名雪は生のニンジンが苦手だが、あゆへの対抗心のみでかじりついた、ということらしい。
「名雪、変な対抗心出すなよな。」
祐一に責められて、名雪は少し口を尖らせながら、苦い薬を飲み込むようにニンジンを喉に押し流した。
「…らっきょも好きだもん……。」
言い訳のつもりなのか、全く無関係のらっきょを持ち出してくるところが可愛らしい。
少し意地っ張りなところを見せた名雪の所作が香里や祐一の笑いを誘う。
和やかな時間が流れつつあったその時、祐一は真琴が恐る恐るスプーンを野菜炒めに伸ばしているのに気がついた。
「香里……。」
(しっ!)
香里は表情や態度を全く変えずに、祐一に黙るように指示を出した。
彼女はとうの昔に気がついていたのだ。
楽しそうな雰囲気に魅せられたのか、真琴も苦手を克服してみる気になってくれたようだ。
真琴に勘付かれないようにその行動を見張るのは、一種独特の緊張感がある。
横目で見ていると、真琴は長いことスプーンの先を睨み付けた後で、毒でも飲むかのように野菜炒めをちびちびと口の中に入れた。
もごもごもご……。
隠居したお祖父さんが入れ歯を噛むように何度も咀嚼した後、ごくん、と飲み込んだ。
「…………ん、……美味し…。」
真琴の険しかった表情がふわ〜っと和らぐ。
それとほぼ同時に秋子がくしゃくしゃ、と頭を撫でて真琴を誉めあげる。
「偉いわ、まこちゃん。」
「凄いね!まこちゃん!」
人数の関係で”お誕生日席”にいた真琴に5人から一斉に拍手が浴びせられた。
一瞬何事かときょとんとしていた真琴だったが、どうも誉められているらしい、と気付くと、にぱっと笑顔を弾けさせた。
「……あ、あはは……真琴、偉い?」
真琴は照れながらもう一度周りを見回した。
その視線が祐一にぶつかる。
「ああ。凄いと思うぞ。」
祐一は素直に真琴に賛辞を送った。
実際、苦手なものを食べてみようと思うだけでも尊敬ものだ。
名雪は失敗こそしたが、挑戦したことは誉められて良いと思う。
その上それを克服したのだから文句無しだ。
祐一にまで誉められたことが余程嬉しかったのか、真琴はそれから野菜炒めも次々にお腹に放り込んでは秋子にお代わりを求めるようになった。
(……ん?)
祐一がそれを思いついたのは食事も後半に入った頃、少しさっぱりしたものが欲しくなって、先刻あゆが食べたのと同じサラダを口に入れたときだった。
(…………野菜サラダに入ってるピーマンって、ピーマンの味じゃないか……。)
当たり前だった。
余りにも当たり前過ぎて、実際に自分で口に入れるまで気がつかなかった。
”だから名雪も間違えたのだ”とそこで初めて知った。
そう。
名雪は”間違えた”のだ。
もっと詳しく言えば、秋子がそれぞれの人間の苦手を避けて調理してくれたものと思いこんだのだ。
その理由が、あゆが食べた”生のピーマンを使ったサラダ”だ。
何故ならばあゆが3日前に食べたのは”ピーマンの炒め物”だったからだ。
それなら、確かに味付けの妙や熱でピーマンそのものの苦さを誤魔化すことが出来る。だが、ピーマンが生で使われているサラダにそれは叶わない。
あゆも口に入れた瞬間に名雪と同じ”これは違う”という感触を得たはずだ。それなのに、顔色を変えずに『食べて見せた』。
(……あゆは本当に偉いな……。)
祐一は想像以上に我慢強いあゆを見直すと同時に、『何故そこまで出来るのか?』という疑問が湧いてくることを避けることが出来なかった。
<続き>