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〜外典〜
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Ophanim
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第7話 Wheel of Fortune:Aパート
目次
ぱーんっ!
本番さながらの発射音に弾かれて、選手達が颯爽と駆け抜けていく。
その外側、トラックコースを、名雪はポニーテールに仕立てた長い髪を上下に振りながら走っていた。
(はぁ……。やっぱり短距離は室内の花形だよ〜……。)
競技場を駆け抜けるトラック競技とその内部で躍動するフィールド競技とは、室内では特にその違いが際だつ。名雪はトラックの直線を駆け抜ける短距離と同じ所をぐるぐると回る中長距離とを比較すれば短距離の方がいい、と思っている。
無論それはあくまでも名雪の個人的な思い入れに過ぎない。
しかも、どちらかというと後ろ向きだ。
「水瀬さんは足は速いんだけど……。」
という顧問の一言が名雪の気持ちを燻らせている。
(う〜っ……わたしだって、自分でも判ってるんだよ〜……。)
「水瀬さんは、スタートがねぇ……。」
つい
ぼぉ〜〜っっっ
としてしまう。
中長距離ならばその後の挽回も可能だが短距離での出遅れは致命的だ。
(
うーーーっ!
だから判ってるんだよ〜っ!)
名雪はペースを上げた。
ちょうどその頃…。
フィールドのややトラックよりの地点で、防護ネットを保持する支柱を片づける作業が行われていた。運動部のご多分に漏れず、レギュラーを外れた1年生がその作業を行っている。それなりに人数は確保してあったものの、今日は選考会なので支柱の移動の回数も多く、全員すっかり疲れていた。
「めんどくさいなっっと……。」
事故は往々にして、新しい作業を始めた当初よりも、むしろ、その作業に慣れ始めた頃に起きる。
移動式の支柱についている車輪を固定するピンを、「可動」側に倒さないままに力任せに引っ張ったため、支柱はゆっくりと傾ぎ始めた。……トラック側に……。
高い支柱がゆっくりと倒れているため、なかなかその事実に気付かない。
……そして、気付いたときにはもう手遅れなのだった。
もはや支柱が倒れるのを止めることは不可能だ。
むしろその周辺から逃げることを考えるべきだった。
「
倒れるっ!!
」
「
逃げてっ!!
」
フィールドの一点を中心に悲鳴が起こる中、倒れゆく支柱の、その到達地点を目指して、猛然と、黙々と、周りを全く見ていないポニーテールが駆け込んでくる。
「
み、
水瀬さんっ!!
」
もはや避けがたい悲劇を想像して顧問の顔色が変わる。本番前のタイムトライアルではあるが、中長距離路線の選手層はそれほど厚くなく、名雪が代表になることはほぼ間違いがなかった。だが、もしここで名雪が怪我でもしようものなら……。
名雪の視界が一瞬暗くなって初めて、名雪は自分が絶望的状況にあることに気がついた。
(
あ
……。)
その瞬間。
名雪の脳裏に浮かんだのは美汐の予言だったか、あるいは、祐一の助言だったか………。
「いやぁ食った食った。」
招待されたのか給仕しに来たのか怪しくはなっていたが、ともかく祐一の食欲は満たされた。
しかも、かなり豪華な昼食で…。
「あの、佐祐理さん。こういうこと聞くのはどうかと思うんだけど…。」
「はい?」
「佐祐理さんの家って、お金持ちだったりする?」
一瞬佐祐理の顔が引きつる。
「……祐一、失礼。」
舞が口を尖らせるようにしてたしなめる。
「ご飯粒ついた顔で言われてもな〜?説得力に欠けるぞ。」
祐一は舞の顔からご飯粒を取ってぱくっと口の中に放り込んだ。
あ、と一瞬舞が不服そうな声を上げるが気にしない。
「だって、おかずとか、この木彫りの弁当箱とか、凄く高そうだったりするだろ?それをさ……。」
「そうですね〜。そうかもしれませんね〜。」
佐祐理はさっきまでの引きつった表情を綺麗に流し去って答えた。
「祐一は…。」
「でしょ?佐祐理さんの家って何をしている人なんだろ?」
ぺしっ!
……からんからん
。
妙な音がした後、微妙な時間が経ってから、祐一は手の甲に激しい痛みを感じた。
舞が箸で祐一の手をしたたかにひっぱたいたのだ。
からんからん
、という音は折れた箸の片割れが階段に落ちた音だった。
あっと言う間に真っ赤なみみず腫れが出来ていく。
「……いったたたた……。」
「祐一は失礼過ぎる。」
ひりひりする手の甲を撫でながら、文句の一つも言おうとした祐一だったが、存外に大真面目な舞の顔を見てちょっとだけ反省する。
「悪かったよ…。」
「あはは〜、良いんですよ〜。」
そう言って笑う佐祐理の顔はもういつものものだ。
「佐祐理は家のことを言われるの好きじゃないから、舞が気を遣ってくれたんだと思います〜。」
あっさりと機嫌を直した佐祐理と反対に、いつまでも怒っているかのように押し黙ってしまった舞に代わってそう言う。佐祐理はそう言いながら、笑顔ですっかり空になった弁当箱を回収していた。
あれだけの量が本当に無くなったんだな、と妙なところで感心してしまう。
佐祐理は女性としての標準を食べた程度。祐一は佐祐理の料理のおかげか、普段より多くを食べたものの、まぁ、男性の標準を大幅に上回ってはいない。そうすると、男性並に食べた奴が一人残る計算になるが、当の本人は太っているどころか、それなりの場所には「もう少し女性らしいと良いかも」という程度の起伏しかない。腰も足もすっきりと見せ、これであの量をしまい込んでいるのは詐欺か曲芸だ、と声高に叫びたくなる。
「祐一さんは今日はこれからどうするんですか?」
佐祐理はきょろっと、大きな瞳を転がしてから聞いた。
「今何時?」
時計を持ち歩かない祐一は二人に聞いてみる。
舞はぴくりとも動かない。
佐祐理は上品に左の手首を曲げて時計を見せてくれた。
(……まだ名雪がいてもおかしくない時間だな……。)
『今日の部活の後は優しく、ね。』
香里の言葉が思い出される。
まぁ、たまには……いいか……。
「うーんと……。ちょっと用事を済ませてから帰るよ。」
祐一はまだ固まっている舞に一瞬だけ視線を落としてそう答えた。
(この表情……。舞は怒ってるんだろうなぁ?)
何であんなことを言ってしまったのか今ではとても不思議だ。佐祐理に舞という綺麗所二人との昼食、それもかなりの豪華版、という状況に少々浮かれていたのかもしれない。
「舞、ごめんな。」
手を伸ばして舞がさっき手渡してくれた木剣を取る。
「お詫びにこれで好きなだけ叩いても良いぞ。」
おどけた調子でそう言ったのだが、舞は素早く剣を取るとものも言わずに祐一の手をひっぱた……く直前で寸止めした。その剣先のあまりのスピードに、まるで真剣で手首を落とされたかのような錯覚がある。その上、恐怖からか、手がなかなか動いてくれなかった。
「お、お、おま……。」
お前は冗談が通じないのか、と言いたいのに、口が満足に動かない。
「……行って良い。」
舞は、はぁ、っとため息混じりに「お許し」を出す。
祐一はどうにかこうにか立ち上がると、腰が抜けたかのようにひょこひょこ歩き去った。
「ふぇ?」
佐祐理は目を丸くしてその光景を見つめていた。
「……。今日、病院、行けない。」
「そうみたいだねぇ〜。」
舞が手にした白木の剣は、実に久しぶりに持ち主の手に吸い付くように馴染んでいた。
?
眩しい?
………
むくっ
と身体を起こした。
自分を心配そうに覗き込んでいた顔が大写しになる。
その大きな目が不意ににこっと笑った。
「あっ。
秋子さんっ!
美汐ちゃん、起きたよ〜っ!」
みしお?
あぅ?
まだぼうっとする視界を擦って鮮明度を上げる。
自分のことをミシオチャン、と呼んだ少女にはちょっと見覚えがある。
昨晩青いパジャマを着ていた子だ。
どうも自分の名前を探してくれたようだが、残念ながら
”ミシオチャン”
は自分の名前、と言う感じがしない。何も覚えてはいないものの、そこはかとなく残る記憶が、
”語感が違う”
と言っている。
「あらあら、あゆちゃん。ありがとうね。でも、美汐ちゃんじゃないのよ?」
扉の向こうから別の声が近づいてくる。
女の子は
”アユチャン”
らしい。
「うん、判ってるよ。だけど、名前が判らないと不便だから。」
”アキコサン”
が扉から顔を出した。
にっこりと笑いかけてくる。
「おはよう、
権兵衛
さん。」
違う……絶対違う。
例えば自分の記憶違いで自分がやっぱりミシオという名前だったとしても、絶対にゴンベエなんて名前じゃない。
「あぅ……ゴンベエじゃない……。」
「冗談よ。」
秋子はにっこり微笑みながらおかゆを差し出した。
「でも、名前の判らない人のことを、
”名無しの権兵衛”
って言うのよ。だから、思い出すまであなたは権兵衛ちゃんね。」
一刻も早く思い出さねばゴンベエで固定されてしまう、ということがなんとなく判った。
お粥を掻き込む間も惜しんで脳細胞を総動員させる。
何にもないと思っていた記憶の欠片を必死にかき集めていると、意外と色々なことを覚えていることが判った。もっとも、その全てが断片的で一つ一つの記憶は全く意味をなさなかったが、それでも、全てを失ったと思っていた状態よりは気分的にましだ。
「昨日はごめんね。ボクはあゆだよ。月宮あゆ。」
あゆは紙に「つきみやあゆ」と書き、拙い漢字で月宮、と書き足した。
「あ、あたしは……。」
ずきっと頭が痛んで顔を歪めてしまう。
「無理に思い出そうとしなくても良いのよ?権兵衛ちゃん。」
………
絶対思い出すっ!
秋子の手から程良く温められたスープを奪い取って一気に飲み干す。
だが、気負いこめば気負うほど、何も出てこない現実に突き当たって跳ね返される。
きっかけがあれば………。
何か、きっかけが……。
「さぁ、食べたばっかりだけど、下に来てケーキでもどうかしら?私達もちょっと早めにお昼食べたから……。」
賛成っ!
と大きく万歳をして、あゆが駆けだしていった。
権兵衛…(
ぎろっ
)…もとい……
”謎の少女”
も、のそのそとその後に続く。
リビングではあゆがテレビの前に陣取って、早速スイッチを入れていた。
(テレビを見ても驚かない……これは、見たことがあるってことかしら?)
ショーウィンドーに写った自分の姿にすら脅えていたのは、単に恐怖からだったのか?今、見慣れぬ家具を見ても…ほとんど全てがそうなのだが…特に脅える、とか怖い、とかいう感情が湧いてこない。だが、それが
”既に見たことがある”
からなのか、
”家の中にいて安心している”
からなのか、その辺りの判断がつきかねる。
「あゆちゃん、ちょっとごめんなさい。ニュースを探してもらえるかしら?」
「は〜い。」
あゆはキッチンからの指示に応えて、番組の中からニュースらしいものを探し始めた。
少女は適当にチャンネルをスキャンするあゆの行動をぼうっとした頭で見つめていた。
その耳を稲妻が貫くまでは……。
「……の代表者、新谷真(あらたにまこと)容疑者(21)を詐欺容疑で書類送検し……。」
「
それだわっ!!!!!
」
少女は勢いよく立ち上がった。
お盆に人数分のケーキと紅茶を載せて運んできた秋子に危うく接触しそうになる。
語感、だ。
新谷真…あらたにまこと…ARATANIMAKOTO…。
あああい、あおお。
この語感。この響き。この、繋がり。
AAAIAOO…。
SAWATARIMAKOTO…さわたりまこと……。
そう、自分は、
”さわたりまこと”
と呼ばれていたことがある。
沢渡、真琴。
「
あたしの名前っ!
」
少女……沢渡真琴は右手を挙げてそう叫んだ。
「美汐ちゃん。」
「権兵衛ちゃん。」
あゆと秋子が不思議そうに顔を傾けながら、それぞれが勝手に決めた呼び名を真琴に浴びせる。
ぶんぶんぶんぶんっっっ!!
力強く頭を振っても、飛んでいかない記憶。
動くと落としそうでのそのそと歩いていた、その必要がない、はっきりとした、記憶……。
「
あたしの名前、沢渡真琴っ!!
」
それだけのことなのに、とても嬉しい。
自分がようやく地面に足をつけられたような気がする。
この世界に、存在する、存在していた、証拠が出来たような、そんな安心感……。
「わ、思い出したんだ。良かったね、真琴さん。」
あゆはまるで自分のことのように嬉しそうに笑った。
両手を胸の前で軽く併せる、その仕草が上品で可愛らしい。
「あらあら……ずっと権兵衛ちゃんでも可愛くて良かったのに……。」
残念ね、と、秋子は少しも残念そうにせずに微笑んだ。
<続き>
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