Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第5話 見知らぬ襲撃者:Cパート目次





 …………。

 …無言…。

 …………。

 「……わ、びっくり…。」

 「思いっきり棒読みだぞ?」

 笑顔で固まったままの名雪は誤魔化すことに失敗した。

 「うー…。」

 「唸ってもだめだ。」

 「うにゅー…。」

 「変な言葉使うな。」

 「くー…。」

 「寝るなっ!

 ぽけっ、と名雪のおでこにちょっぷを食らわす。

 「これ、名前だったんだ。」

 「…あゆが難しい漢字を読めないのは何となく判ってたから安心しろ。」

 お前は疑ってない、と祐一はあゆの頭を撫でた。初対面の時に”家主”の意味を知らなかったのを不思議に思ったが、今朝聞いた、あゆの特殊な学業環境を鑑みるに、「嫌いな科目」にも出席しなくても良い可能性が高い。となると、家主の意味さえ知らないあゆの国語能力はある程度予想がつく。

 「天野美夕(あまのみゆう)って誰だ?」

 「みゆう、じゃないよ。みしお、だよ。」

 名雪に言われてよくよく見ると、夕方の夕にさんずいがついていた。

 「…知ってるんだな?」

 「くーーーーー。」

 慌てて目を閉じる名雪だが、とうの昔に手遅れだ。

 「…まぁ、名雪が知っている奴なら泊めてもいいだろ?」

 「知らな…く、くーーーっ!

 ………。

 「おい、名雪。知らないってどういうことだ?あれは天野美汐じゃないのか?」

 名雪は今度こそ目と口をがっちり閉じてぴくりとも動かない。

 「仕方ない。あゆ、悪いがちょっと電話帳を探してきてくれ。」

 「どうするの?」

 「天野って奴の方に電話してみる。」

 「判ったよ。」「わ〜っ!そんなことしたらだめだよ〜っ!

 あゆの返事と名雪の拒否が重なる。

 「じゃ、理由を話せ。」

 「…うー…。天野さんは陸上部の後輩なんだよ…。」

 だから天野の顔は知っている。だが、二階で横になっている少女とは全くの別人である。

 「…それだけのことを言うのに、なんで黙ってたんだ?」

 「だ、だって、お財布だよ?わたしが取ったとか言われたくないもの…。」

 それもそうか…。

 「そ、それに…きっと祐一が連絡取れっていうと思ったんだよ。」

 「取れ。」

 「や、やだよー…。わたし、天野さん苦手なんだよ…。」

 名雪がとうとう本音を漏らした。後輩に対して敬語を使ってみたり、どことなく挙動不審だった最大の原因はそこだったようだ。

 「なんでだよ?相手は後輩、名雪は先輩、しかも部長なんだから堂々としていればいいだろ?」

 祐一は当然の意見を述べた。

 「天野さんは幽霊部員なんだよ〜…。」

 名雪の言葉を勘違いしたあゆが全速力で逃げ出した。祐一の指先が辛うじてあゆの手を捕まえる。

 「うぐぅっ!祐一君、離してよっ!怖いよっ!

 「あゆ、幽霊部員って、天野が幽霊って言う意味じゃないんだ。滅多に部活に出てこない奴のことを言うんだって…。」

 じたばたと足をばたつかせるあゆを抱くようにして席に戻す。よくよく考えるとあゆがこの場にいる必然性はないのだがなんとなく、だ。

 「うぐぅ……ほんと?」

 祐一と名雪の顔を見比べてようやく安心したあゆの様子を見て、祐一は苦笑いする。この類の会話では信用されていないようだ。

 名雪の説明によると、あの学校では誰もが必ず部活動に所属しなければならないらしく、祐一も週明けにはどこかに入部手続きさせられる見込みであることが判った。だが、その割に帰宅する人間が多かったのは美汐のような”幽霊部員”が多いからだ。北川や香里もある意味幽霊部員なのだろうが、一旦顔を出してすぐ帰宅するのは暗黙の了解として認められているらしい。だが、美汐はそれすら滅多にしない。当然部長としては部活に顔を出すように言わざるを得ず、苦しい板挟みに合う。実は祐一を迎えに行くのが遅れたのも、今度の選考会に美汐が顔を出してくれるように説得するのに手間取ったせいだった、と白状した。

 「さぼり部員ならなおのこと強く言えるじゃないか。」

 「うー…でもっでもっ…。」

 往生際の悪い名雪の前に祐一が電話の子機を突き出す。

 しばらく気がつかない振りをしていた名雪だったが、祐一に子機のアンテナを鼻の穴に詰められそうになったのでしぶしぶ番号をなぞる。

 「あ…もしもし、水瀬ですけど…あの…美汐さん…。」

 如何にも歯切れの悪い名雪の声だけがキッチンに流れる。祐一はそっと親機を耳に当てた。

 「はい。お電話替わりました。美汐です。」

 上品な声が聞こえてきた。確かに声だけで判断すれば美汐の方が名雪よりも大人びている。名雪が美汐に対して敬語を使いたくなる雰囲気なのが理解できた。

 「あ…わ、わたしだけど…。あの…、あなたの財布が…。」

 「財布…ですか?…あぁ、あれですか…。あの方は今部長の所にいるんですね?」

 ん?

 祐一は美汐の言葉の不自然さに気を止めた。

 「え?あ、え?え?」

 名雪も何か違和感を感じているようだ。

 「財布のことでしたら、あれはあの方に差し上げたものですから。」

 お気になさらずに、と付け加える。祐一は名雪に走り書きのメモを示した。名雪は恨めしそうに祐一を見据えながら指示に従う。

 「うー…あ、天野さんはあの子のこと知ってるの?」

 名雪はメモの通りに質問を読み上げた。

 「いえ…あぁ、そうそう。部長、明日は軽めの練習に止めた方がいいと思います。山羊座はあまり運勢がよくありませんから。」

 「はぅっ…。」

 受話器から耳を話したときには時既に遅し。名雪の鼓膜はしっかりと美汐の言葉を捉えていた。

 名雪はそれ以上は決して祐一の指示に従うことなく早々に会話を切り上げてしまった。

 「苦手って、占いのことか?」

 「祐一の馬鹿馬鹿馬鹿ぁっ!

 占いの内容など大したことではない、と思った祐一だったが、名雪にとってはとんでもなく重大なことだったらしい。身を乗り出して祐一を叩こうとするが、テーブルを挟んで伸びてくる拳をかわせない祐一ではない。しばらくじたばたした後、名雪は諦めたように椅子に座り直した。

 うぇぇ、と涙目になった名雪を心配したあゆがそっと近づいて、ハンカチを差し出す。名雪は頷いてそれを受け取り、赤くなった目を押さえつけた。

 やっぱりあゆを捕まえておいて良かったな、と祐一は自分の判断を自賛した。

 「名雪さん、どうしたの?」

 「明日の山羊座、運勢悪いんだよ…。」

 名雪はあゆのハンカチをぐっと握りしめながら、明日は来春の選手選考する記録会なのに…と涙の重みを訴えた。

 「うぐぅ…ボクも山羊座だよ…。」

 1月7日生まれだもん、と言い、あゆは名雪と一緒に不運を共有する道を選んだ。

 「あ、そうなんだ。それじゃ、わたしと一緒に祐一にお誕生日プレゼント買ってもらおうよ。」

 けろっとした顔でとんでもないことを言う名雪…。

 「おい、ちょっと待て…。」

 「名雪さんの誕生日はいつ?」

 「12月23日だよ〜。」

 祐一の抗議を全く無視するかのように、偽姉妹はすっかりその気になっているようだ。

 「待てと言うに…。俺は何も言ってないぞ?天野って奴が勝手に占い…。」

 「だって、祐一君が無理矢理名雪さんに電話させたんだよ?」

 「うんうん。」

 さっきまでの涙はどこへやら、名雪は顔いっぱいに笑顔を広げてもっともらしく頷いている。あゆを捕まえたのは失敗だったかも知れない…。今度はさっきとは逆の考えが祐一の脳裏を走る。

 「だいたい、あゆはともかく、名雪の誕生日はとっくに過ぎてるじゃないか?」

 「でも、わたしお祝いしてもらってないもん。」

 …なるほど…。

 一理ある。

 祐一は名雪の言葉に納得した。

 それに、名雪とあゆの分をまとめて”始末”出来るのである意味祐一にとってもあながち悪い話ではない。

 「判った。だけど今日はもう遅いから無理だ。明日は名雪が部活忙しいだろ?日曜日、名雪の部活が終わってからだ。」

 ますますあゆの誕生日から外れてしまうが仕方ない。また、それだけあれば秋子に相談して誕生日用のメニューを作ってもらえる余裕も出来る。

 「うん、それでいいよ。」

 名雪の様子を見ながらあゆも頷く。

 「それじゃあ、風呂に入って寝るか。」

 これ以上話がややこしくなっても困る、と判断した祐一は、二人を残してさっさと席を立つ。

 「うん、おやすみなさい、だよ。」

 「あぁ、おやすみ。」

 祐一が身元不明の少女のことを思いだしたのは布団に入ってからだった。



 「………。」

 ぶるっと身震いと共に目を覚ますと、祐一は布団から抜けだし体を起こした。

 目覚まし時計に顔を近づけてそれを睨む。

 …午前1時。

 調子に乗ってお茶をがぶ飲みしたせいだろうか?まだここの気温に体が慣れていないせいだろうか?それとも、布団に入ってから目が覚めた場合は大抵がそうなのだろうか?

 祐一が目を覚ました原因は尿意だった。

 (トイレ、いっとこ…。)

 立ち上がると床の冷たさで一気に目が冴える。

 ………。

 …………。

 ……。

 廊下の床が軋む音がする。

 (何だ?)

 尿意が急激に去る。

 …。

 ………。

 …………。

 また音がする。

 そっと扉の近くに身体を寄せる。

 音を立てないように扉を細めに開けて様子を窺うと…。

 「…ぁゅ…。」

 「わっ…び、びっくりしたよ…。」

 大声をあげないように口を自分で押さえながら、あゆは祐一を上目遣いに見上げた。

 「ゆ、祐一君……。」

 「なんだ?こんな夜中に愛の告白か?」

 判っていて聞いてみる。

 「う、うぐぅ…ち、違う…。」

 あゆはもじもじしながら目で訴えた。今日は昨日のパジャマではなく、祐一のお下がりを着ている。自分の着ていたものを他人が着ているのを見るのは何となく変な感じだ。

 「さ、寒いから…お、おトイレに……。」

 「一緒に行くのか?」

 「う、うんっ!」

 我が意を得たり、とあゆは嬉しそうに胸の前で手を合わせた。

 「狭いぞ。」

 「うぐぅ……一緒に入るんじゃないよ……。」

 少し恥ずかしそうに目を伏せる。

 このままからかっていても面白いのだが、祐一も会話の中で自分の本来の目的を思い出した。

 「よし。じゃあ、一緒に行くか。」

 「う、うん。」

 安心したような表情で笑顔を作る。祐一は階段の電灯をつけ、先に立ってあゆを誘導した。

 「あゆが先だな。」

 あゆをトイレに入れる。が、トイレの中に入ったものの扉を閉めずにじっと祐一を窺っている。

 「………なんだ?」

 「……待っててくれるよね?」

 「そりゃそうだ。俺も使うからな。」

 それでもあゆは扉を閉めようとしなかったが、意を決したように顔を上げた。

 「でも、………その……音、聞こえると嫌だから、離れてて……。」

 ………なるほど。

 女兄弟どころか兄弟すらいない祐一にはこの年代の女の子の気持ちなど判らなかった。まして、こんな場面、出くわしたことすらない。

 「判った。台所にいるから。」

 終わったら呼べ、と言ったが、”終わったら”という表現さえあゆには恥ずかしいものだったらしく、真っ赤になったまま無言で扉を閉めていた。

 台所に向かう扉の前で、祐一は身体の動きを全て止めた。

 可能なら、心臓の音すら静めたい。

 ごそごそ…。

 がさごそ…。

 あからさまに怪しい物音がする。

 それもかなり大きい音。

 人目を憚ることもなく、間断なく続く音。

 巨大ゴキブリでも這っているのだろうか。

 夜な夜な水瀬家の台所を這い回る無数の巨大ゴキブリたち。

 その一匹がタワシ大ほどあり、水周りを蠢く真っ黒な壁に仕立て上げている。

 (ぞわーーっ!想像しただけで寒気が増すぞ…!)

 って、んなわけないよな…、と感覚を正常に戻す。

 途端に背後でしゃーっと水の流れる音がして飛び上がった。

 「祐一く…。」

 あゆには手で音を出さないように指示を出す。あゆは両手で口を押さえて、判った、と首を大きく縦に振った。

 祐一は扉から足音を立てないように離れると、静かに移動してあゆと合流、一緒に廊下を大きく回り込んだ。

 (どうするの?)

 (確かめてくる。)

 (大丈夫?)

 (今この家の中で男は俺だけだからな。やめろと言われてもやる。)

 居間に移動してあゆをソファーの陰に隠す。

 (ここにいろ。)

 (気をつけてね…。)

 たまたま居間に置いてあった箒を獲物に、祐一は一人で台所の入り口に迫った。

 耳を澄ます。

 「あぅーっ…。」

 …声が聞こえてくる。

 「お腹すいたよぉ…。簡単に食べられそうなもの…見あたらないよぉ…。」

 誰かが、冷蔵庫をごそごそと漁っている。言われてみると、食べたものが餅主体だったので祐一もお腹が空いたような気がしてくる。

 なるほど、冷蔵庫には簡易食が無いのか、などと納得している場合ではない。

 …名雪か?

 いや、名雪の料理の腕なら昨日の晩にとくと味わっている。たとえ寝ぼけながらでもまともなものを作れるだろう。第一、電灯ぐらいつけるだろう。

 やはり外部のものだ。

 「勝手にこんなの着せられてるし…。あぅーっ…お腹ぐぅぐぅ言ってる…。」

 どうやら全く無警戒のようだ。

 祐一は意を決して台所に踏み込むと、未確認の人影に向かってぐぃっっと箒を突き出した。

 ぽこっ。

 たまたま立ち上がった人物の勢いと相俟って結構大きな音がした。

 ………。

 「きゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーッッ!!!!

 北国の深夜に少女の絶叫が響き渡った。


<続き>


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