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1月 8日 金曜日
カチッ!
『朝〜、朝だよ〜。』
「うおっ!」
突然耳元で声が聞こえて、祐一はがばっと跳ね起きた。蹴り上げられた布団が床に落ちる頃、
『朝ご飯食べて学校行くよ〜。』
と、第2声が聞こえてくる。
「な、名雪かっ!?」
きょろきょろと部屋の中を見渡す。
『朝〜、朝だよ〜。』
枕元から、再び間延びしたやる気のなさそうな声が聞こえてきた。
『朝ご飯食べて学校行くよ〜。』
『朝〜、朝だよ〜。』
カチッ…。
目覚まし時計から従姉妹の棒読みの台詞が流れてきていることに気がついた祐一は無言でスイッチをオフにした。
「…何だ、これは?」
静かになった目覚ましを掴んで、しげしげと眺める。昨日は気づかなかったが、よく見ると『録音』と書かれたボタンがあった。どうやら、自分の声を録音してそれを目覚ましに使えるタイプらしい。
だが、自分の声…それも、間延びした棒読みの
『朝〜、朝だよ〜。』
の声で、果たして目覚めるものなのだろうか?
(まぁ、俺は確かにびっくりしたが…。)
それも種が判ってしまえばそれほどでもない。むしろ、”耳元に響く従姉妹の声で寝覚める”という表現が”有効”になってしまった恐怖感の方が大きい。そんなことがクラスメートに知れたら、と想像するだに恐ろしい…。
(交換してもらう…って訳にも行かないだろうなぁ…。)
目覚ましの媒体が媒体だけに、気に入っている可能性が高い。しばらく使ってから交換してもらうことにしよう、と決めて、元の場所に戻す。
ドラマなんかでやっているように、ぐうっ…と、伸びをすると朝の光が心地いい。
慣れないベッドにしては、上々の目覚めだった。凍えるくらい寒いことを除けば、だが…。
時間は7時を少し過ぎたところ。
斜めに差し込む太陽の光が、カーテン越しに部屋の中に浸透してくる。
カシャッ!
わざと勢いよくカーテンを左右に開くと、視界に飛び込んでくるのは昨日と同じ真っ白な光。
「今日も寒そうだな…。」
敢えてそう呟いてみせると、白く吐き出された息が肯定した。
祐一は慣れた手つきで手早く身支度を整えた。
今日のところはまだ前の学校の制服のままだが、男子の制服など、どこに行っても似たようなものだろう。これが女子だったら大変なことなのだろうが…。
そこで女子の存在に再び思い至る。
(名雪とあゆはもう起きてるのか…?)
そっと自室の扉を開くが、名雪の部屋のドアは閉ざされたままで、廊下からでは伺い知ることはできない。
ジリリリリッ!
「な、なんだ?」
突然、廊下まで聞こえるような大音量で目覚ましが鳴り響いた。
「名雪の部屋かっ!?」
それが呼び水になったかのように次々と新たな音が重なる。
ジリリリリッ!ジャラララッ!ガガガガガガッ!
多種多様な音が混じって、もはや何がなんだか分からなかった。
しかも…。
「…止まらない。」
しばらく待ってみても、鳴り止む気配はなかった。
「もしかして、目覚ましセットしたままで先に起きたんじゃないか?」
この大音量の中すやすや眠っているとは思えない。よしんば名雪がそうだとしても、あゆまで一緒にいるとは考えにくかった。
「うぐぅ、うるさいよ〜、とか言って出てくるはずだよな?」
そう言う自分の声すらも大音量にかき消されてよく聞き取れない。
「…君、祐一君っ!」
などと言っていると当人は祐一の背中から現れた。
「お、あゆ。おはよう。」
「う、うんっ!おはようっ…って、何の音っ!?」
あゆは両手で耳を押さえながら叫ぶように問いかける。
「名雪が目覚ましセットしたまま起きちゃったみたいなんだ。あゆ、悪いけど中に入って止めてくれないか?」
あゆの耳元に口を近づけて用件を伝える。
「うんっ!判ったよっ!!」
怒鳴り返すような返事をして部屋の扉を開ける。
物珍しそうに覗き込む祐一の視界に飛び込んできたのは、壁を彩る女の子らしい装飾、おそらく騒音の発生源であろうと思われる複数の目覚まし時計、そして、ベッドの上で、何事もなかったかのように眠りこける従姉妹の姿だった。あまりの大音量で頭痛がする。
「名雪さんっ!朝だよっ!」
「…くー。」
「秋子さんが待ってるよっ!」
「…くー。」
「学校遅れるよっ!!」
「…うにゅう。」
「うぐぅ…起きてよぅ…。」
片耳を押さえながら、睡眠生物名雪と奮闘するあゆが可哀想になってくる。
祐一は仕方なく、あゆに加勢するために部屋に入った。
まず、頭痛の主因と思われる目覚ましを一つ一つ止めていく。目覚ましを止めても止めても頭痛が止まらないと思ったら、それは昨日名雪に頭突きされた場所だった。
「…くー…お腹いっぱい…。」
攻撃した当人は巨大なカエルのぬいぐるみを抱きしめたまま、まだまだ夢の中のようだった。
二人が脱力感に襲われながら目覚ましを止め終える頃、ようやく名雪がベッドから体を起こし始めた。
「…ってそれじゃ目覚ましの意味無いだろっ!」
祐一はちょいっ!と名雪のおでこにちょっぷを食らわした。
「…痛い…。」
名雪はあくびをかみ殺した涙目でゆっくりと視線を動かし、目の前に立っている祐一に焦点を合わせようと努力する。
(それは昨日の頭突きの跡だ。)
と、言おうとして自分が置かれている危険に気がついた祐一はあゆを庇うように一歩下がる。
「うにゅ…おはようございまふぁ〜。」
瞬間風を切る音とともに激しい勢いで名雪の上半身が倒された。長い髪が床に当たってばしぃっっと音を立てる。
台詞は途中からあくびにとって代わられるほどのどかだったものの、その寝ぼけパワーに陸上部主将の底力を、凄まじい破壊力を感じ、祐一はあゆをせき立てて逃げるように名雪の部屋を後にした。
「おはようございます、祐一さん。」
台所に顔を出した二人を、秋子の笑顔が迎える。あゆはまだ耳を押さえたままできょとんとしていたが、祐一に促されてぺこん、と頭を下げる。テーブルに並べられた白い皿に従って、二人は思い思いの場所をとった。
「名雪、まだ寝ているみたいですか?」
二人にこんがりと焼き上がったトーストを出しながら、秋子がやんわりと訊ねる。
「いえ、あゆと二人で起こしましたけど…。」
祐一の言葉に、秋子の目が丸くなる。
「これからも、名雪を起こすのは二人にお願いしようかしら。」
「絶対に嫌です。」
「…うぐぅ…。」
きっぱりと答える祐一と、言い難そうに下を向くあゆ。表現の仕方は違っても気持ちは全く一緒だった。
「そうですよね。」
秋子は諦めたように、それでも、どこか嬉しそうにそう言った。
祐一に熱いコーヒーを、あゆに温かいミルクを注いでいると、一応、制服には着替えているものの、まだまだ寝ぼけまなこの名雪がふらふらと入ってきた。
「…おはようございます〜。」
あゆの隣の席にどすん、と倒れ込む。
そこで初めて、祐一はもっと問題がありそうな人間に気がついた。
「おい、あゆ。お前学校は?」
トーストをくわえたまま首を傾げているあゆは、私服のままだった。
「ひゃんほひふほ(ちゃんと行くよ)?」
「祐一さん、あゆちゃんの高校は私服登校なんですって。」
ヒアリング満点の秋子が通訳する。
「それに、休みたいときに休んでいいんですって。単位制の高校だと全国にもそう言うところ、あるみたいですよ。」
「くぁ〜…お前、いいところ行ってるなぁ…。」
祐一は心底羨ましそうにそう言うと、自分のトーストにかぶりついた。
「ひぇふほほひゃいほ(テストもないよ)。」
「あら、それはいいわね。」
何言ってるんだか判らないよ、と言う言葉を、祐一はコーヒーごと飲み込む。
あゆには遅刻の心配がないようだがこっちは違う。しかもこれが転校初日。職員室へ行って挨拶をしたりとか色々あるだろう。制服や教科書の手配、編入手続き…ちょっと考えただけでも大変だ。
「…って、だから、名雪、本当に大丈夫か?」
ふわふわと半分夢の中でパンをかじりながら、流れる髪が揺れている。トーストに塗られたイチゴジャムの方が遠慮して髪を避けているかのようだ。
「何が?」
「時間とか…。」
「…うん、多分…。」
そこで一旦はぐっ、とパンをかじる。
はぐはぐはぐはぐ…。
猫のイラストの入ったコーヒーカップを、ゆっくり口元で傾ける。
こくこくこく…。
ごっくん。
ほえ〜…。
「走らないとだめだね。」
ずざっ!
その言葉で祐一は慌てて立ち上がり、玄関に向けて走り出す。
「いってらっしゃい。」
「いってらっしゃ〜い。」
…秋子の声が聞こえるのはいいとして、名雪の声が聞こえるのは問題だ。
「お前も行くんだよっ!」
「ぼ、ボクも行くよっ!」
何故か時間に関係の無いはずのあゆも慌てて立ち上がっている。ところが、一番急いで欲しい名雪はなんともう一枚のトーストにイチゴジャムを塗っているではないか!?
「ちゃんと朝ご飯食べるの久しぶりだよ〜。」
「明日からもちゃんと起きたらね。」
幸せそうに話す名雪と、やんわりと忠告しながらイチゴジャムを遠ざける秋子の呼吸がもどかしい。
「名雪っ!」
「わ…お、お母さん、ひどいよ〜。わたし、いつも起きてるよ〜…。」
祐一が戻ってきたのに気がついた名雪は急にそんなことを口にしたりする。
(あらあら…。)
微笑ましいことだが、既に手遅れだということを名雪は意識していない。
「そうだといいけど…。」
秋子はそう言って、イチゴジャムの瓶にしっかり蓋をした。
寒っ!
祐一はぎりぎりの時間に家を出たことを後悔した。
秋子が弁当箱の包みをくれたりしてあれからまたちょっと手間取ったのだ。
一旦外の寒さを把握した後なら中に色々着込めたが、今からではもう間に合わない。
目の前に広がる銀世界。
夜の内に降ったらしくて、その雪は足跡さえまだついていなかった。
「いいお天気だね。」
「今日は暖かいねっ!」
二人が祐一には到底信じられない、いや、信じたくない会話をしている。
「嘘付けっ。無茶苦茶寒いぞ。」
コートを着ていても直接体に突き刺さるような寒さ。今まで当たり前のように言っていた、”寒い”とはまるで質の違う寒さ…。”寒い”、と言うよりも、”痛い”くらいだった。
「これから毎日こんな極寒の中を歩くのか…。」
転校初日から気分が滅入る、と祐一は思う。
「今日は暖かい方だよね?」
「これから、どんどん寒くなるんだよっ!」
二人は祐一に追い打ちをかけた。
「俺、国に帰る。」
口を開くと息の白さで自分の体温を無駄にしたことが実感できる。
「祐一君、帰っちゃうの?」
あゆが寂しそうな声を出す。
冗談と本気の区別がつかないのか…。
苦笑すると何故か少し元気が出た。
「すぐに慣れるよ、きっと。ふぁいとっ、だよ。」
名雪が励ます。
「そうだといいけど…。」
祐一は制服の上から羽織ったコートの襟をしっかりと合わせ、水瀬家の門を開けて道路に出た。
「足跡足跡…。」
あゆが雪に足跡を付けながら雪の感触を楽しんでいる。
遅刻の心配のないあゆにつきあっている暇はない。
「じっとしてると余計に寒い。さっさと行くぞ。」
祐一はそう言って一歩を踏み出したが、背中に名雪の”足跡足跡”の声を聞いて振り向く。
名雪があゆと一緒になって足跡で絵を描いていた。
「足跡なんて珍しくもないだろっ!」
あまり雪の積もらないところから来た祐一が雪で遊ぶならともかく、長く雪の中で生活していた二人の方が雪と戯れるとは…。
「帰ってきたら、かまくら作ろうよ。」
「賛成だよっ!」
祐一には信じられない会話が続いている。
「あ…。」
不意にあゆの顔が暗く沈む。
「え、えーと…。ボク、今日もいたら迷惑だと思うから…。」
祐一は無言であゆの頭をくしゃっと撫でた。
「そんなこと言うと、昨日夜遅くまであゆのパジャマ作ってくれた秋子さんが悲しむぞ。」
夜中にトイレに起きた祐一はリビングで楽しそうにあゆの服を縫っている秋子の姿を目にしていた。
「え!?」「そうなの?」
あゆも名雪も驚いていたが、名雪の方は喜びの度合いが大きい。
「ボク、いいのかな…。」
「いいに決まってるよ。」
問題は寝る場所だな、と祐一は考える。
だが、今はとにかくこの話題を切り上げて急がせなければならない。
「それよりも、俺達は早く学校に行かないと間に合わないんじゃないのか?」
「えっと…そうだね。」
名雪は名残惜しそうにあゆと作った足跡の絵を一瞥した後、先頭に立って走り出した。
「ボク、途中で曲がるよっ!」
「うん、判ったよっ!」
あゆには名雪達の学校がどこにあるかが判っているようだったし、名雪もどこで、と言わなくても通じているようだ。そんな二人をの会話を、祐一は少しだけ羨ましい、と思った。
<続き>