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| 第3話 午後のひととき:Cパート | 目次 |
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あゆに電話をさせるのは名雪に任せて、祐一は残りの段ボールを開封しに部屋に戻った。
(ほら、こういうのは捨ててくるべきなんだよなぁ……。)
祐一は自分が昔着ていた、一回り小さいパジャマを広げてため息をついた。
こんなものまで詰め込まざるを得なかったから荷物が増えたのだ。
そうこうしているうちに階下から歓声が上がる。
どたどた、と激しい足音がして名雪が部屋に飛び込んできた。
「祐一〜。あゆちゃん泊まっていくって!」
「うぐぅ〜っ!まだ決めた訳じゃ………。」
………。
広げたパジャマとあゆをしげしげと見比べる。
ぽむ。
「あゆ、これはお前のものだ。」
祐一は”一回り小さいシリーズ”の詰まった箱をあゆの方に押しやった。
「適当に見繕って着てろ。」
「ふわ〜…。あつらえたみたいにぴったりだね…。」
名雪は箱の中から適当に取りだした服をあゆにあてがっては感心している。
「うぐぅ…これ、穴が空いてる…。」
「お母さんに直してもらえるよ。」
女性陣がそれなりに楽しんでいるようだ。
「そうそう。あゆちゃんのおうち、旅行に行ってるみたいなの。だから、しばらく泊まることになるかもって。」
名雪は心底嬉しそうに話をしている。
長年秋子と二人暮らしだったので、家族が増えて嬉しいのだろう。
殊に、妹のようなあゆは名雪にとって何よりも嬉しい話し相手だ。
「う、うぐぅ…。」
恐縮しまくるあゆをそっちのけで、名雪は祐一のお下がりであゆを飾ることに没頭していた。
「それじゃあ、すぐに晩ご飯にしますね。」
あゆの宿泊が本決まりになると、秋子は嬉しそうに台所に消えていった。
「あ、お母さん、わたしも晩ご飯の準備手伝うよ。」
「ぼ、ボクもっ!」
その背中を追って、姉妹のような二人が台所の中に入っていく。
祐一も慌てて二人の後を追ったが、それほど広くもない台所に既に3人入っていて定員オーバーだ。
せめて食器の準備くらいはやろうとしたのだが、その役目もあゆにしっかり奪われ、何もすることがなくなってしまった。
結局本当に何もすることがなく、リビングのソファーに腰を下ろして見慣れない番組を眺めているしかなかった。
(チャンネルが少ない…。)
(天気予報の地図が知らない場所……。)
(しかも、雪のマークがたくさん………。)
(ぐはっ……最高気温が氷点下……………。)
つくづくこの場所がこれまで暮らしていた場所とは違うということを思い知らされた。
「……祐一。」
夕飯の準備が出来たことを知らせに来た従姉妹の少女がその背中に呟く。
「うん?」
「不思議、だよね…。」
「なにが…?」
何を言いたいのか、と思っていると、名雪は祐一の正面に移動して椅子に腰掛けた。
「祐一が、今わたしの目の前にいることが、だよ。」
「お前が俺の目の前に移動したからじゃないか?」
「違うよ〜……。」
改まって見つめられるとどこか居心地が悪い。祐一は話をはぐらかそうとした。
が、名雪の方にはその話題から離れるつもりはなかった。
祐一の目を正面から見つめる。
「……まぁ、今回のことは急に決まったからな。」
「それもあるけど、でもちょっと違うよ……。」
笑っているような、泣いているような、そんな表情………。
祐一は名雪のこの顔が苦手だった。
たまらなくなって視線を逸らす。
部屋に沈黙が流れた。
重苦しいような、心地良いような、不思議な沈黙だった。
「……どうしたの?」
呼びに行ったまま帰らない名雪を心配してあゆが迎えに来る。
「いや、腹を空かせた名雪に襲われそうになっていた。」
「わ、ほんと?」
「違うよ〜……。」
空気が日常を取り戻す。
既にあゆは水瀬家の日常の中に取り込まれていた。
「…ど、どこにこんな料理が…?」
祐一は驚嘆のあまり声を詰まらせた。
食卓にはレストランでディナーを注文したときにでも出てきそうな料理が品数豊富に並んでいた。
「今日は、ちょっと張り切りました。」
エプロンを畳みながら、秋子がキッチンから顔を出す。
「…これ、全部秋子さんが作ったんですか?」
祐一は皿の一つ一つを目で追いかけながら尋ねた。
「名雪とあゆちゃんにも手伝ってもらいましたけどね。」
「う、ううん。ボク…作るのは何も手伝ってないよ……。」
ざっと数えただけで5種類以上はある主菜に加え、前菜などを取り分けるためらしい取り皿も一人当たり2,3枚準備してあるようだ。
テーブル脇に準備してあるサイドボードに載っている小瓶の群は恐らくドレッシングの類であろうと想像できるが、これまでの流れからそれらもまた手作りである可能性はかなり高いだろう。
「秋子さん、すごいよ……。」
運ぶのを手伝ってその量を知っているはずのあゆも、改めてその出来栄えに感嘆していた。
出来上がった料理は見栄えも良いように綺麗に並べられていた。
あゆが祐一達を呼びに行ってから特にミニトマトなどの赤い小物を中心に手が加えられており、そのためにより一層の食欲をそそるよう工夫されている。
「あゆちゃんもすぐ出来るようになるわよ。さ、冷めないうちに食べてくださいね。」
そう言いながら、秋子はあゆの頭を優しく撫でた。
秋子に促されるように、4人で食卓を囲む。
「「「「いただきます。」」」」
4つの声が調和して、水瀬家の夕食が始まった。
「この調子で毎日人が増えるといいわね。」
「うん、わたしも楽しいよ。」
なるほど、祐一が到着してから僅か2日で、それまでの水瀬家の夕食から食卓を囲む人数が2倍に増えた計算になる。家に来た当初は遠慮していたあゆも、名雪や秋子と会話をしているうちに、緊張がほぐれてきたようで、今は名雪の妹のようによく懐いている。
「あ、ピーマン…。」
あゆが一瞬口をつぐむ。
慌てて口をつぐんだがもう遅かった。
「あゆちゃん、ピーマン嫌い?」
すかさず名雪が問いかける。
この場合、気が利いているのか、それとも全くその逆なのか、非常に微妙なところだ。
「う、ううん。ぜ、全然そんなこと無いよ。ボク…ぴ、ピーマン嫌いじゃないよ…。」
冷や汗をかきながらそんなことを言っても説得力がまるでない。
無理をしているのがはっきり判る。
祐一はその様子を見て苦笑いをした。
(こういう場合は、”好き嫌いは良くない”とか”身体にいいから”という言葉で食べさせるか、お客さんなので、”食べなくていい”または”残してもいい”、か、ま、二つに一つだろうな。)
しかし、余程の料理音痴ならともかく、身体に悪いものを料理に入れる者があろうはずが無く、まぁ、一般的には遠慮してもらうのがいいだろう…。
しかし、秋子の対応はそのいづれでもなかった。
「あゆちゃん、ちょっとだけ食べてみて下さいな。無理だったら他のものを食べればいいんだから。」
………。
(なるほど……。)
微妙な違いだが、大きな違いだった。
食べなくていい、というネガティブな表現は、ともすれば相手が気を遣ってしまって無理をさせかねないが、他のものを食べてもいい、というポジティブな表現は相手を自然にその気にさせることが出来る。
あゆは恐る恐る、ピーマンの炒め物をひとかけ口にした。
「……美味しい……。」
「なぁんだ。残すならわたしがもらおうと思ってたのに…。」
名雪も笑顔でフォローする。
「わ、だめだよ〜。折角ピーマン食べられるようになったのに……。それに、名雪さんには名雪さんの分があるもん……。」
あゆは慌てて残りのピーマンを口の中にしまい込んだ。
さっきまであんなに苦悶の表情を浮かべていた、その同じ人物とはとても思えない。
「苦くないよ。ほんとに美味しい。」
「良かったわ。」
他にも好き嫌いがあったかもしれないあゆも、それが理由で料理を残すことはないだろう。
だが、問題は量だった。
まずサイズ的に最も小さなあゆが音を上げた。
「……秋子さん、名雪さん、ごめんなさい。ボク、もうお腹いっぱい…。ご馳走様でした。」
心底残念そうにテーブルの上を眺める。
それでもなんとか自分に割り当てられた分を食べきっているところは賞賛ものだ。
続いて秋子と名雪が箸を置いた。
3対の期待のこもった視線を浴びながら孤軍奮闘していた祐一だったが、さすがに限界を迎えた。
「……俺ももういっぱいです。ご馳走様。」
既に広いテーブルいっぱいに広げられている料理はそれぞれが豊富なリザーブを抱えているらしく、キッチンにあるワゴンの上にもその姿を垣間見ることが出来る。
だが、秋子は全く気にする様子もなかった。
「えぇ。お粗末様でした。」
どこが?と反論する気もない。
「お母さん、これ、お弁当になるかな?」
名雪は嬉しそうに余ったおかずをより分けている。
「えぇ。充分よ。でも、少しだけ手を加え直してお弁当に詰められるようにしましょうね。」
そんな二人の会話を聞きながら、そうか…明日から学校なんだ…、と祐一は急に憂鬱になった。
憂鬱にとりつかれた祐一を取り残して、水瀬家の会話は進む。
「お母さん、あゆちゃんの分のお弁当箱ってあったかな?」
「え?え?そんな、悪いよ……。」
名雪が秋子に問いかけた言葉はあゆにとっては意外なものだったようだが、秋子にとってはそれこそ自然なものだったようだ。
当たり前のように微笑む。
「お弁当もお弁当箱もたくさんありますよ。」
「え?え?え?……ほ、本当に、いいの?」
あゆは恐縮しきってしまって、もともと小さい身体をより一層小さくしている。
そんなあゆの緊張をほぐすのは、秋子の微笑みだ。
「私達だけで食べたらこれからしばらく同じメニューになってしまうもの。あゆちゃんもお弁当を持っていってもらえると私も助かるわ。」
なるほど。
秋子の説明には無理がない。
弁当を持っていってもらった方が助かる、と言っているのに断ったら、それこそ大迷惑だ。
「あ、祐一はもしもいらなかったらいいんだよ?明日は始業式で終わりだし……。わたしは部活があるから……。」
名雪は祐一の方を見てそう説明した。
それだとあゆの学校でも同じことが言えてしまうはずだが、折角まとまった話をわざわざぶち壊すこともない。
祐一は名雪に突っ込むのを自粛した。
(それはそうと、折角午前で帰れるのに重い弁当持参する必要はないよな?)
それに、弁当よりは出来たての方が美味しいだろうし…と、言いかけて、祐一はふとあることを思い出した。
「そう言えば、明日ちょっと病院に行く用事が出来たんだ。」
栞の所に行かなければならない。
ちらっとあゆの方を見ると、こっちは完全に忘れているようだった。
「祐一、どこか悪いの?」
「うん、頭が…。」
名雪が首を傾げながら聞いたので、祐一は即答してみせた。
「そう、大変だね…。」
「早く治した方がいいですよ。」
当然のように名雪も秋子も真に受けていた。
もっとも、秋子の方は面白がっている可能性が高かったが……。
「おい、冗談だ。」
「祐一君、頑張ってっ!」
「だーーーっ!あゆは事情を知ってるだろっ!」
祐一は栞にあゆのたい焼き代を立て替えてもらった件を説明し、明日の午後に病院を訊ねる予定だ、と話した。
「というわけで、明日は午後忙しいのだ。」
それなら、お見舞いの品も見繕っておきます、と秋子が静かに話した。
病院の件が一段落する頃には、ちょうど良く一同の胃袋も一段落していた。
「そうそう、あゆちゃん、どこに寝る?」
名雪が心の底から楽しんでいる、と判るような笑顔で聞いた。
あゆは戸惑ったように名雪と秋子の顔を代わる代わる見比べている。
「2階の部屋と1階の部屋が空いているんだけどね。どっちがいい?あゆちゃん、一人で……無理ね。」
秋子は少し考えるように顔に手を当てていたが、あゆの表情を見て納得したような笑顔を作った。
あゆは暗い部屋に一人でいるところを想像したのか早くも目に涙を浮かべていた。
「わたしの部屋に一緒に寝る?」
「ボク、それでいいよ。」
願ってもない名雪の提案に、あゆは即答した。
それ以外は絶対に認めない、とばかりに名雪の背中に顔を隠す。
「そうね、名雪の部屋に布団を敷きましょうか。」
「修学旅行みたい…。」
名雪は嬉しそうだ。
うきうきとした顔を崩さない娘を見て、秋子は”無理もないわね”と考えていた。
名雪は、ちょうど今のあゆのように暗がりを怖がるような幼い頃からずっと一人で眠っている。
寒い冬の夜も、雷のなる夏の夜も、ただ偏に秋子に心配をかけまいと、ただそれだけのために……。
(祐一さんが来なくなってからは、本当に丸一年を一人で眠っていたんだものね。)
もっとも、今も祐一と一緒に寝るようではそれはそれで困ってしまうのだが……。
「わたし、お風呂沸かしてくる。」
「じゃ、風呂が空いたら呼んでくれ。」
一人、娘が幼かった頃の物思いに耽っていた秋子の目の前で、成長した子供達が会話を交わしていた。
祐一が階段を上がっていく足音を聞きながら、秋子は時の流れの速さを思っていた。
<続き>