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| 第3話 午後のひととき:Aパート | 目次 |
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「遅くなってごめんなさいね。」
不意に背後から声を掛けられ、あゆと祐一は飛び上がって驚いた。その拍子にあゆの鼻と祐一の手がぶつかる。
「うぐぅ…またぶつけたぁ…。」
「悪い悪い。不可抗力だ。」
祐一は素直に謝った。
「祐一さんのお友達ですか?」
秋子があゆを認めて頬に手を当てる。
「全然知らない女の子です。」
「うぐぅ…ひどいよっ!!」
あゆは両手をばたばたとさせて祐一に抗議した。
「冗談だ。」
「………もしかして、祐一君ボクのこと嫌い?」
「全然そんなことはないぞ。」
からかうと面白いだけだ。
実際、こちらの言葉に律儀に反応してくれるし、表情もコロコロと変わってみていて飽きない。
「元気な女の子ですね。」
二人のやりとりを見ていた秋子が、のんびりと感想を言った。
「…えっと。」
あゆが祐一と秋子を見比べながら、祐一の顔を窺う。
秋子と祐一の関係を図りかねているのだろう。
「この人は、水瀬秋子さん。俺が居候させてもらってる家の家主さんだ。」
「やぬしってなに?」
祐一の説明に、間髪を入れずあゆが真顔で問い返す。
「……家の中で一番偉い人のことだ。」
「あ、そうなんだ……。少し勉強になったよっ。」
ふざけているのか、と勘ぐりつつ、祐一が無難な説明をすると、あゆは嬉しそうに微笑んだ。
どうやら本当に分からなかったらしい。
この辺では使わない表現なのかな、と祐一は判断した。
「秋子さん、こいつは月宮あゆって言って、俺の小さい頃の友達です。」
祐一は先が面倒になるので秋子には”前科”の話をしなかった。
「よろしくお願いしますっ。」
あゆが元気良くぺこっと頭を下げる。
「月宮あゆちゃん……?」
それに対する秋子の対応は変わっていた。考え込むように、微かに首を傾げる。
「どうしたんですか?」
祐一の問いかけにも答えない。
「ボクの顔、何かついてる?」
じっと自分の顔を見つめる秋子に、あゆが不思議そうに首を傾げる。
「たい焼きの餡がついてるぞ。」
「えっ!」
あゆはごしごしと服の裾で顔を擦る。その仕草が、妙に子供っぽい。
「とれた?」
祐一の視線に、にこっと自分の顔をさらす。
「大丈夫、元からついてないから。」
「うぐぅ…。祐一君、やっぱりボクのこと嫌い?」
「全然そんなことないぞ。」
実に楽しいだけだ。
「………月宮あゆちゃん?」
なおもあゆの顔を見ていた秋子が、真剣な表情でもう一度名前を呼ぶ。
「……はい?」
それに対してあゆもまた怪訝な表情で答える。
「そう……。」
秋子はその後も、そう、と何度も何度も繰り返した。
一人で納得するように、こくんこくん、と頷く。
祐一とあゆが二人で首を傾げていると、突然、
「二人は今日はこれからどうするの?」
と水を向けてきた。
「俺は秋子さんに頼まれた用事をして、あゆは俺の部屋を片づけます。」
祐一はどさくさ紛れにあゆの負担を増やしておいた。
「うぐぅ!ボクは祐一君のお手伝いするだけだよっ!」
あゆが手足をばたつかせて抗議する。
「それじゃあ、二人とも家に帰るのね?」
お昼、ご一緒して良かったかしら?と、あゆに訊ねる。
「え………あ、え…ぼ、ボク…。」
「どうしたんだ?あゆ?」
祐一はあゆの態度の変化に驚いていた。まるで子供が人見知りするかのように、秋子の申し出に対して怯えている。
「わ、悪いかなぁ…って。」
「いいですよね?秋子さん。」
あゆの返事を待たずに、祐一が秋子に尋ねる。もとより秋子本人が誘っているのだから反対するはずがない。
「それじゃ、お米の買い足しもするから、あゆちゃんも一緒に来てもらえる?」
「は、はいっ!ボク、一生懸命がんばるよっ。」
あゆは、ぐっ、と手を握り締めるポーズをした。
頼もしいと言うより可愛らしかった。
妙に緊張しているあゆを見かねたのか、秋子がとっておきを出す。
「お片づけが一段落する頃、カステラでも出しましょうね。」
途端にあゆの緊張が解けた。
両手を高く上げて万歳をする。
「ほんと?うわーいっ!」
かすてらっ、かすてらっっと聞いているこっちが恥ずかしくなるような喜びの表現をしながら歩きだした。
(あゆは極端だなぁ………。)
祐一は心持ちあゆと距離を取って苦笑いをした。
(………昔からあんな奴だったかもな……。)
ふと不思議に思う。
(思い出せるじゃないか………。)
確かに7年前のことでも思い出せるものがある。
(まぁ、そのうち思い出すだろ。)
祐一はそれ以上深く考えることもせず、母子のような二人の後をついて歩いた。
「ただいまぁ……。」
玄関に疲れ切った声が流れる。
「お母さん、わたしもうお腹ぺこぺこ……。あれ?お客さん?」
名雪はへろへろになりながらも、どうにか笑顔の親類を作って台所にたどり着いた。
「あ、これが名雪だ。」
祐一が食うなよ、と注文を付ける。
なゆき、という聞き慣れない名前を、初め食べ物と勘違いしたあゆに、名雪の取り扱いを説明していたのだ。
「初めまして、名雪さん。」
「あゆ、気をつけろ。腹が減ってるから食われるぞ。」
「わたし、人を食べたりしないよ………。」
相手をするのも疲れた、という表情で名雪が椅子にへたり込む。
「えーと?」
「こいつは月宮あゆ。食い逃げの常習犯だ。」
「うぐぅ!ひどいよっ!祐一君!」
祐一の紹介に、いつものようにあゆが律儀に突っ込む。
「えっと、あゆちゃんって呼んでいいのかな?」
長年のつきあいの賜か、それとも生来のマイペースに由来するのか、名雪の方はあっさり流して自分の用事を優先させた。
「うん、あゆちゃんでいいよ。」
「ちなみに、俺のいとこだ。」
「それはわたしだよ………。」
名雪は心底疲れ切って反応する。
朝から何も食べずに昼食を迎えたのはここ最近では珍しい。今年に入ってからは初めてだ。
「わたしのことは、なゆちゃんでいいよ。」
名雪はあゆに自分のことをそう呼ぶよう要求した。
???
祐一もあゆも聞き慣れない名前の持ち主を捜して顔の前に『?』マークを並べていた。
「はい、なゆちゃん、お腹空いたでしょ?」
秋子は名雪に優先して昼食を運んできた。
「わ、わ、お母さんは普通に呼んでいいんだよ〜。」
何故か照れている。
「なゆちゃん?」
あゆが首を傾げながらそう繰り返す。
昼食のオムレツにかぶりつきながら、名雪が満足そうにうんうん、と頷いた。
あゆちゃんと、なゆちゃん……。
「こ、混乱するからやめてくれ……。」
「うん、ボクもやっぱり名雪さんって呼ぶね。」
祐一とあゆが拒否すると名雪は本当に悲しそうな顔を作った。
(たまに呼ぶだけだったらいいかな?)
祐一は名雪の顔を見てちょっとだけ反省した。
「あら?もう食べ始めてるの?じゃ、私達も食べましょう。」
秋子は名雪がオムレツを口に入れているのを見て、まぁ、と微笑んだ。
(これまではもそもそ口に運ぶだけだったのにね………。)
続いてあゆと祐一にも昼食の皿が配られ、4人で少し遅めの昼食会が開かれる。
「「いただきます。」」
「い、いた〜だきます。」
「ひたふぁふぃまふ。」
(一人だけ幼稚園か保育所時代に聞いたような挨拶をした奴が混じっているがこの際気にしないでおこう……。)
祐一は美味しそうな湯気を立てているオムレツにスプーンを入れた。
と、その”幼い挨拶をした奴”が祐一の袖をくぃくぃ、と引いた。
「どうした?あゆ?」
あゆは目を大きく開いて何かを考えるようにしていたが、意を決したように祐一の耳に口を近づけた。
「祐一君のオムレツ、名雪さんのより小さいけど、居候しているからなの?」
小声でそう聞いてくる。
確かにその通りだが、理由は違う。
祐一がふと見ると、それを気にしたのかあゆはまだオムレツに一口も手をつけていなかった。
ここで”そうだよ”と茶化すと本気にしそうで怖い。
「名雪は朝飯抜きだったからだよ。」
祐一はお返しに、あゆの耳に口を近づけてちゃんと説明してやった。
「遠慮するなって。あゆがお腹空いていたらあゆの分も大きめに作ってくれるから。」
「う、うぐぅ…。ボク、猫舌だから…。」
あゆはそう言って俯いた。
(な〜んて言って……。)
あゆは説明が終わったら、待ちきれなかったように口の中にオムレツを移動させている。
(やっぱり遠慮してやがったな。)
祐一は、はふはふ、と頬を膨らませながら熱々のオムレツと格闘するあゆを、微笑ましいと思った。
宅急便は昼食会の最中に届いた。
「祐一の宅配便、たくさん届いてたよ………。」
「うわぁ、いっぱいあるねっ。」
名雪は不満そうに、あゆは嬉しそうに、それぞれが思い思いの感想を口にする。
「たくさん送ったからな。だいたい出発が急すぎて、本来捨てるべきものまで詰まっていると思うぞ。」
祐一は出発間際の殺人的光景を思い起こしながら話した。
迷ったらとりあえず箱の中、という感じに、全ての決断を後回しにせざるを得なかった。
吟味しないで詰め込んだので全ての箱に”割れ物注意”の表示がされている。
「みんなで力を合わせて協力すれば大丈夫だよ〜っ。」
何が楽しいのか、あゆが飛び回る。
こういうときにあゆのような前向きな奴がいると助かる、と思いながら、祐一は早速一つ目の段ボールを手に階段を上った。
階段は段ボールを持ちながらだとすれ違いに苦労するので、部屋で第2陣の到着を待つ。
待つ……。
……待つ……。
…………待つ…………。
「お〜い……。どうした?」
祐一が待ちきれずに階段を下りていくと、女の子が二人うんうんと唸っていた。
「どうした?」
「……持ち上がらない。」
名雪が返事をする。
あゆの方は返事をする余裕すらないようで、顔を真っ赤にしたままだ。
二人で一つの段ボールを持ち上げようと努力はしているようだが、それでも全く動く気配はない。
ここは運動部に共通のあの言葉を持ち出すしかない。
「気合いだ!」
「無責任だよ〜。」
この陸上部長は気合い主義ではなかったようだ。
「変身だ!」
「そんなのできないよ〜。」
「やる前から諦めるな。」
「うー。」
名雪は上目遣いの視線で祐一をじーっと見つめた。
その向こうであゆが指にはぁっと息を掛けている。
どうも、箱の中身が段ボールの取っ手の部分にまで進出していて、手のかけどころがない感じだ。
男の祐一なら無理矢理にでも持ち上げて底に手を掛ける、という大業が出来るが、どちらかと言えばか弱い部類に入る女の子二人には酷だろう。
「ボク、頑張るよ…。」
あゆはダッフルコートを脱いでキュロット姿になり、もう一度気合いを入れ直した。
だが、そんな”変身”では中身が変わらないので大した効果は期待できない。
「名雪とあゆは俺が部屋に運んだ荷物を順番に片づけていってくれ。」
祐一は作戦を変更した。
「………でも、段ボールいっぱいあるよ。」
名雪は今度は祐一の心配を始めた。
「俺は大丈夫だから。」
休みながらやるし、と説明する。
結局二人とも納得し、二階に上がっていった。
「ほえ〜、ここが祐一君の部屋なんだ…。」
あゆの声が聞こえてくる。
「なんにもないね………。」
「だから今のところ綺麗なんだよ。」
(…名雪がこれ以上余計な説明を加える前に運んでしまった方がいい。)
祐一は大量にある段ボールにため息をひとつついた後、おもむろに作業に取りかかった。
無機質な自動ドアが迎え入れる。
「あ、美坂さん、おかえりなさい。」
独特の薬品の匂いと看護婦が栞の帰りを待っていた。栞はいつものように微笑で答える。
「早かったのね?」
それには軽く会釈だけをしてそそくさと自室に戻る。
ベッドの上に乱暴に買い物袋の中身をぶちまける。
何かに追われるように、次第に大きくなる焦りを隠すように、いらいらと雑多なものの中から目的のものを漁る。
(あった………。)
大きな、工作用ナイフ………。
やっと、手に入った、片道切符………。
見舞いの果物がさりげなく、果物ナイフが無くても食べられる、蜜柑やバナナ、ブドウで占められていることを知っている。
病院の食事にお肉が出るときは、ナイフを使わなくてもいいように、あらかじめ小口に切ってあることを知っている。
売店のおばちゃんが、この病棟の患者にはナイフを売らないように言い含められているのを知っている………。
外に出なければ、決して手に入らなかったもの………。
だけど………。
と、栞は一瞬逡巡する。
(私が外に出たがったのは、これを手に入れるためだったかしら?)
だが、今、それはもう関係がない。
自分が切符を手に入れた、その事実は事実だ。
栞はいそいそとナイフの包みを開いた。
しげしげとそれを見る。
おもむろに左手首にあてがって右手に力を込めてみる。
後少しで決定的な傷が入る、というその瞬間、栞はもう一度ナイフを見つめた。
その禍々しい刃はどこまでも冷酷で、峻厳で、そして暖かかった。
(……暖かいと思えるのは、今だけかもしれない……。)
あ、今の台詞、ちょっとかっこよかったです〜、と栞は少し微笑む。
その拍子に先刻の出会いが脳裏に浮かぶ。
「明日必ずお見舞いに行くから。」
あの人はそう言った。
自分はあの時、お断りしていただろうか?
(忘れてましたぁ………。)
ふっと力を抜く。
左手首には細くて赤い傷跡が残された。
(約束は……守らないと……ね……。)
栞の視界に、数時間ぶりに色彩が戻ってくる。
その世界の中、栞はゆっくりとした動作でベッドの上の雑貨を片づけた。
<続き>