Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第2話 再会と邂逅:Aパート目次




1月 7日 木曜日



 …ぅわーんっ…。

 誰かが泣いている。

 泣くなよ…。

 ぅわーんっぅわーんっ…。

 もう、泣くなよ…。

 大丈夫だよ…。

 絶対、大丈夫だよ…。

 じーーーーっ…。

 ほら、蝉だって、7年も冬眠するんだぞ。

 ぶーーーーっ!

 …ま、間違えた?た、確かに、と、冬眠じゃなかったかもしれない…。

 ぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりっ!

 …ぎ、ぎりってなんだよ?

 「……。」

 じりりりりり

 (…?目覚まし…?)

 祐一はぼんやりと意識を外部の世界に繋いだ。まだまだ深い眠気に包まれたまま、どこか夢の続きのように布団にくるまる。

 (今日はまだ冬休みだから、もっと寝ていてもいいはずだ。)

 無意識にそう結論を出して、その考えを早速実行する。

 その結論は正しい、と言わんばかりに、何もしなくても目覚ましは止まった。

 (よし、このままもう一度眠りの中に……。)

 バタンッ!

 今度は遠くから、勢いよくドアの閉まるような音が響く。

 ドタドタ…。

 直後、板張りの廊下を走るような足音が、冷たい空気を揺らしていた。

 静かだった部屋に、遠くから近づいてくるような足音。

 ドタドタドタ…。

 (構わず、気にせず、眠りの中に……。)

 ドタドタドタドタドタドタ…。

 (中に……。)

 ドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタッ!!!

 「だーっ!うるさいっ!!

 祐一の声が聞こえたのか、足音は止まった。 

 「あっ!わたしまだパジャマだよっ…」

 が、代わりに壁越しに、女の子の声が聞こえてきた。

 (………誰?)

 ある程度意味のある言葉は、無機質な目覚ましの音よりも確実に意識を目覚めへと誘なう。

 祐一はその言葉の意味と主について意識を繋ぎ直した。

 「うー…本当に時間ないのに…。」

 切羽詰まっている台詞の割には、あまり大変そうな口調ではなかった。

 新たな謎を加えて、バタンッ!ともう一度、扉が閉まる。

 部屋の中に、さっきまでの静寂が戻ってくる。

 「………。」

 (謎は全て後回しだ………。)

 眠気はまだたっぷりとあった。

 布団を頭までかぶり、体を丸めてすっぽりとそれの中に収まる。少しずつ目覚める意識を、もう一度眠気の中に委ねる。………が、眠気とは違う感覚に気がついた。

 (寒い……。)

 それも、無茶苦茶寒い。

 首周りといわず足先といわず、布団の隙間を見つけては寒さが布団の中に侵入してくる。

 布団をさらに目深にかぶり、体をもうひとまわり丸めて体温を逃さないようにするが、それでも部屋の中に満たされた空気は冷たくて、眠気と体温を同時に奪っていく。

 (負けた…。もう起きてもいい……かもしれない…。)

 祐一は、意志とは関係なくはっきりしていく意識の中でそう考えた。

 (ところで、今何時だ?)

 布団から手だけを伸ばして、置き時計を手元に引き寄せ……ようとした。

 ………しかし、いつも置き時計を置いている場所にはなにもなかった。

 今度は布団から顔だけを出して、壁にかかっている時計で時間を確認し………ようとした。

 しかし、壁に時計はなかった。

 ……というか、時計どころか何もなかった。

 「………?」

 祐一は上半身を起こして周りを見渡した。

 (お袋の仕業か?………にしても、何でこんなに極端に片づけるかな…?)

 しんと静まり返った、綺麗に片づけられた部屋だった。

 ほとんど何もない部屋に、同じように何も入っていない本棚が置いてある、閑散とした部屋。

 とても、自分の部屋とは思えないくらい………。

 「って…どこだ、ここ……?」

 ……というか、自分の部屋ではなかった。

 重い瞼を擦りながら、ぼうっとする頭を懸命に揺り動かす。

 静かな部屋を満たす、冷たく澄んだ空気。

 馴染みのない部屋と本棚。

 そして何よりも………。

 バタンッ!

 「お母さんっ、わたしの制服ないよ…。」

 廊下から遠くから聞こえてくる女の子の声。

 「……そうか…そうだった…。」

 祐一は、布団から出ると、カーテンを開け放った。

 真っ白な光が網膜に飛び込んでくる。

 穏やかな朝の日差しと、上下左右から容赦なく突き刺してくる銀色の光。

 「寒いわけだよな……。」

 思わずそんな言葉が口をついて出る。

 四角い窓の外には、一面の雪景色が広がっていた。庭木の上も、向かいの屋根もその向こうも、視界に飛び込んでくるもの全てが、白一色に覆われていた。

 「とりあえず、今日中に荷物をなんとかしないと……。」

 明日からは、新しい学校での生活が始まる。

 祐一は昨日の雪でまだ少し湿っている鞄から、今日着る服を取り出し手早く着替えを済ませた。

 今日の午前中には宅配便が届き、残りの服などこまごまとしたものが手にはいるはずだ。

 だが、暖房器具を入れた覚えはない。

 (まず必要な物は暖房器具だな。)

 祐一がそんなことを考えていると、広々とした部屋に腹の虫の音が鳴り響いた。

 目が覚めて空腹感が襲ってくるのは正常な証拠だ。

 そう納得して扉を開ける。

 廊下では先客が困っていた。

 「時間ないよ〜、時間ないのに〜、どうしよう〜…。」

 名雪はパジャマに半纏を羽織った姿のまま地団駄を踏んでいた。

 が、祐一の姿に気がつくと、にこっと微笑みながら、

 「あ、おはよう、祐一。」

と、朝の挨拶をした。

 まるで、今までずっとそうだったというように……。

 が、挨拶をされた方はそうはいかない。

 祐一がどう反応したものか一瞬迷ったため、瞬間的に沈黙が流れる。

 「ダメだよ、祐一。朝はちゃんと、おはようございます、だよ。」

 名雪は少しだけ眉を寄せた。

 細長い、綺麗な眉が習字のような八の字を作る。

 「………おはよう。」

 「うん。おはようございます。」

 まだ少し戸惑いのある祐一に、名雪は元気に挨拶を重ねた。

 「早いね。祐一は今日までお休みなんだから、もっと眠っててもいいのに。」

 祐一の眠気を撃退した張本人が涼しい顔でそう語る。

 ちょっと微笑んでいる辺り、本気でそう思っているに違いない。

 「そう思うんだったら、もう少し静かに騒いでくれ。」

 非常に難しい注文だ。

 名雪もその注文に一瞬頷きかけて、急に困った顔になる。

 「うー、難しいよ………。」

 「いや、真剣に悩まれても困るけど………。」

 祐一の冗談にも真面目に答えようとする名雪の眉が、今度は英語のMの字に近くなっていく。

 この辺りに、名雪の性格が出ているのだろう。

 「……あっ、そういえば、時間と制服がないんだよ……。」

 名雪は思い出したように、ぽんと手を叩いた。

 確かにさっきまでどたばたと廊下を走り回っていたはずだった。意味もなく走られたのでは祐一も起こされ損だ。

 祐一は名雪の制服には縁もゆかりもない。

 「祐一、わたしの制服知らない?」

 「俺が知ってるわけないだろ…。」

 役に立てなくて済まないね、と答えようとしたとき、ふと昨日の会話を思い出した。

 (確か、昨日名雪は学校から帰ってくる途中だった……。)

 臙脂の詰め襟ワンピースに白い縁取り。

 それにリボンとお揃いの縁取りが施された白い肩掛け。

 聖歌隊のそれにも似た、華やかな”衣装”………。

 「制服って、昨日も着てた変な服のことか?」

 「変じゃないよ……。」

 名雪はその制服が気に入っていたようで、即座に反論した。

 「秋子さんが洗濯するって言わなかったか?」

 祐一は名雪の好みには構わず、記憶を口に出した。

 「………あ。」

 名雪も思い出したのか、踵を返して階段を駆け降りていった。しばらくして、今度は”あったよ〜”という声とともに階段を駆け上がってくる。嬉しそうな、悲しそうな、複雑な表情だ。

 「でも、ちょっと湿ってる……。どうしよう………。」

 「コタツの中に入れておくとすぐに乾くぞ。」

 多分、と、祐一は心の中で付け加えた。

 「そんなことしたら、皺になってダメだよ………。」

 名雪は乾くかどうかの可能性よりも女の子らしい気遣いの方を優先させた。

 「着て着れないことはないんだろ?」

 「それはそうだけど……。」

 それでも、替えの制服などという便利なものがない以上、他に選択肢はない。名雪は少し思案した後、決心して自分の部屋に入っていった。

 「名雪、今日の部活は何時から始まるんだ?」

 「もうすぐだよ〜。」

 ドア越しに話しかけた声に、その向こう側から切羽詰まった内容の、のんびりとした返事が返ってくる。

 祐一は『なゆきの部屋』とかかれたドアプレートを見るように、廊下の壁にもたれかかった。

 「お待たせ。」

 名雪は、まるでこれから一緒に出かける、とでも言いかねない台詞を口にした。

 「いや、別に待ってはいないが………。」

 祐一は即座に否定した。

 「確か、時間もないって言ってたけど、急がなくていいのか?」

 「うん。全然よくないよ。」

 名雪はにっこり微笑んだ。

 どうやら着替えを終えたことで既に一仕事終えた気分になっているらしい。

 言葉とは裏腹に、口調がいつも以上にのんびりとしていた。

 「今からでも間に合うのか?」

 祐一はある種の期待も込めてそう聞いた。

 名雪の部活が何時から始まるのかには別段興味はない。

 が、ここから学校までどれくらいかかるかには大いに関心がある。

 学校が近ければそれに越したことはない。

 「一生懸命走れば間に合うよ。」

 名雪は笑顔を全く崩さずに返事をした。

 さっきの答えよりも更に具体性を増していることから、どうやらかなりヤバイらしい、と祐一は判断した。

 しかし、名雪は別段急ぐ様子もなく階段を下りる。

 (まぁ、外の寒さを見たら、このままずる休みしたくなったとしても不思議はないけど……。そうだ、名雪が部活を休んだら片づけを手伝ってもらおう。)

 祐一は名雪が食堂に移動するのを期待して後に付いていった。

 しかし、名雪はそんな祐一の期待を裏切り、直接玄関に移動した。

 どうやら朝食は抜くようだ。

 だが、もう遅い。

 祐一は既に名雪を戦力に加えることを決めていた。

 「なぁ、名雪。今日は、部活何時ごろ終わるんだ?」

 「んと〜今日は冬休み最後の部活だから、昼過ぎには帰って来られると思うよ。」

 名雪は少し考えてから、そんな答えを返した。

 「だったら、帰ってきてからでいいから、俺の部屋を片づけるのを手伝ってくれないか?」

 「………女の子に力仕事させるの?」

 名雪は困った顔を作った。

 昨日、祐一が担いできた荷物はたった二つ。

 急に決まった引っ越し、という点を考えれば、残りの荷物の数はかなりの数に上るだろう。

 そして、事実、名雪の判断は正しかった。

 「俺はか弱い帰宅部。名雪はか太い運動部。ここは運動部の腕の見せ所だろ?」

 「うー、か弱いの反対は太いじゃないし、わたし太ってないよ………。」

 名雪は祐一の視線から逃れるように横を向いた。

 実際、さすがは運動部、と言うべきか、日頃の不摂生にも関わらず、名雪のプロポーションは悪くなかった。

 すらっと伸びた足はカモシカとはいかないまでもサラブレッドのようだったし、絞るべきところは絞れ、出るべきところは出ていて、瓢箪と言うよりは鉄亜鈴のようだった。

 ちなみに、どれがどのように褒めたことになるのかは知ったことではない。

 「太ってないけど、陸上部だから砲丸くらい投げるだろ?」

 「陸上部は陸上部でも、わたしは走るの専門だよ。」

 そういうと、名雪はその場で駆け足をする仕草をして見せた。

 ちなみに、駆け足というより地団駄を踏んだようにしか見えない。

 「砲丸リレーとかするだろ?」

 「そんなのあったら危ないよ………。」

 それはそうかもしれない。

 「でも…。うん、いいよ。祐一の手伝いするよ。」

 名雪はまた笑顔に戻って祐一の申し出を承諾した。

 「悪いな。そのかわり、空になったダンボール箱は全部名雪にやるから。」

 ダンボールは空になれば場所をとるだけなので、祐一にとってもなかなか効果的な取引だ。

 「いらないよ。」

 だが、受取手は言下に拒絶した。

 「秘密基地とか作れるぞ。」

 そこで依頼主は新たな建設計画を持ち出した。

 子供なら大喜びで入札しそうなネーミングだが、業者名雪は

 「作らないよ。」

と、これもまた建設に反対した。

 そこで依頼主は今度は

 「子猫や子犬も飼い放題だぞ。」

と、動物保護計画を持ち出した。

 「猫は大好きだけど、わたし猫アレルギー………。」

 名雪は複雑な表情を浮かべた。

 「そういえばそうだったな………。」

 祐一はちょっとだけすまなそうに顔をしかめた。

 名雪は大の猫好きだったが、同時に大の猫アレルギーでもあった。

 それなのに、野良猫を自分の部屋に連れ込んで、一晩中涙を流しながら一緒に寝ていたことがあった。

 目が真っ赤になるほど涙を流し、鼻水でくしゃくしゃになりながらも、猫だけは離さずにひしと抱き締めていた。

 当然双方体力がもたず、猫が自力で逃げ出して一件落着を見たものの、名雪の猫好きはむしろ強まっただけだった。

 そんな名雪を猫に近づけたら涙が止まらなくなって大変なことになるのは目に見えている。

 「とにかく、頼んだぞ。」

 「うん。分かったよ。」

 結局報酬なしで依頼は成立した。

 もっとも、最初から名雪は報酬など期待していなかったが………。


<続き>


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