Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第1話 始まりはいつも…:Dパート目次





 どうやら今日も持ちこたえたな。

 倉田は安堵のため息とともに病室を後にした。消灯時間はとっくに過ぎていたが容態が安定するまで患者に付き添っていたのだ。

 自室に戻ると件の看護婦が部屋のソファーに座って待っていた。

 「…急患か?」

 「いえ。お疲れでしょう?コーヒーでも、と思って…。」

 看護婦は熱いコーヒーを二つ作って戻ってきた。

 確かに、今日は少し疲れを感じている。

 有り難くいただくことにした。

 「美坂さん、なんだか複雑な顔をして戻ってきましたよ。」

 久しぶりに外に出たはいいが、店がほとんどしまっている時間だった、と言っていた。

 「明日も外出していいか、聞いておいてあげる、って言ったら喜んでました。」

 「風邪、だからな。」

 倉田はそう言って、事実上栞の外出を許可した。

 「…先生。」

 看護婦は不意にそれまでと違った表情を作った。

 「なんだ?」

 倉田はいつものように素っ気なく言ってコーヒーをすすろうとしたが、その手が止まった。

 「…なんだ?」

 倉田はもう一度同じ質問を繰り返した。だが、今度はコーヒーを机に置いて、看護婦の視線を正面から受け止めながら聞いていた。

 「先生は、奇跡を信じているんですか?」

 看護婦の目は真剣だった。

 「………いや。」

 「それじゃあ、どうして、治る見込みの無さそうな患者さんをこんなにたくさん引き受けるんですか?」

 倉田総合病院の1棟は重度の症状を持つ患者で占められている。この街ではもう一つ、久瀬病院という病院でも同様の患者を受け入れていたが、評判は天と地よりも更に離れている。

 「………治る見込みがない患者など受け入れた覚えはない。」

 倉田の声はいつも以上に低かったが、いつもよりも遙かに迫力があった。

 「だって、奇跡でも起きない限り……。」

 「奇跡は起きる。」

 看護婦は口をぱくぱくさせた後非難の視線を送った。

 「私は矛盾していない。」

 看護婦の非難の原因を正確に理解した上で、倉田はそう断言した。

 「私はただ、”奇跡は起きるということを確信している”だけだ。」

 倉田は冷えてきたコーヒーを一口、胃に流し込んだ後で、信じているなどというレベルではない、と付け加えた。



 一人の老人が杖をついて歩いていた。

 杖は必要ないのではないか、と思えるほどしっかりした足取りのその先に、小さな女の子が走っていた。

 「それが運命なのよ。」

 少女の母親はそう言った。

 それが運命ならば、運命なんて信じない。

 少女はそう思った。

 だが、今、運命は確実に母親の言葉を選ぼうとしていた。

 ベンチの前にたどり着いた舞は抱えてきた木の葉を足下にまき散らした。

 その勢いに驚いて、近くにいた野良犬が飛びすさる。

 だが、舞には周りのことはもう目に入らなかった。



 「舞…。」

 さっき、病院のベッドで、あたしをお母さんが呼んだ。汗をいっぱいかいていたから、

 「またイタイの?」

って聞いたら、「ううん、大丈夫よ」って言って笑ってくれた。



 木の葉を2枚差して目を入れる。

 一匹完成…。



 「そんなことより…ね、舞。」

 「なぁに?」

 「今から動物園、いこっかぁ、お母さんとふたりで。」

 「ほんとっ?

 あたしは喜んで…そして、気づいた。お母さんが、いけるわけないということに。

 「大丈夫よ、お母さんなら」

 お母さんはまた笑っていた。

 「舞と一緒にいたら、ずっと元気だから」

 「…ほんとぅ?」

 あたしが聞いたら、お母さんはうん、って頷いた。



 雪玉を固めて葉っぱを2枚…。

 これで二匹目…。



 お母さんの言葉は、いつだって信じていた。だから、今日はいつもより元気なんだと思った。

 「お弁当は作れないけど、代わりにここからひとつ持っていこうね。舞は、なにがいい?」

 お母さんはそう言っておみまいの果物のはいったかごをひきよせた。

 「バナナ。」

 「じゃ、バナナ持っていって食べようね…。」

 その中から、お母さんはバナナを取った。



 3匹目…。

 まだまだ、まだまだ足りない…。

 

 「いこうね、舞。今日しかないからね…。」

 それを白い布でくるんで、手にさげて、お母さんがベッドからはい出た。

 あたしはそれを支えた。

 お母さんの体はおもかった。

 「ごめん、大丈夫よ、舞…。」

 からだが軽くなった。

 お母さんがじぶんの足で立っていた。

 でも、歩き出すまでにはすごく時間がかかった。



 4匹目…。…指、痛い…。

 舞は両手を口の前に持っていってはぁっと息を吹きかけた。

 一度は逃げ去っていた犬がまた近寄ってきて舞に身体をすり寄せる。

 「ありがと。犬さん。あたしを応援してくれるのね。」

 舞は感覚が無くなってきた指で木の葉をうさぎに差し込んだ。

 

 病院の庭にはたくさん雪が積もっていて、太陽できらきら光っていた。

 その中を二人で手をつないでゆっくりと歩いてゆく。

 お母さんの体重を支えてだったから、大変だったけど、それでもそれはあたしにとって、とても嬉しいことだった。

 お母さんと、ふたりでお日さまの下を歩いてるのだから。

 それも、大好きな動物さんがたくさんいるという、動物園に向けて。

 心が、わくわくしないわけがない。

 「うーっ…。」

 ずっとあたしは興奮していた。



 5匹目…。

 目を上げるとお母さんは目をつぶっていた。苦しそうだった。

 だからあたしはもっと頑張ることにした。

 犬さんもきゅうんと鳴いて、応援してくれてる。



 「どうぶつえん…まだまだとおい?」

 「そうね。とりあえず病院をでて…バスに乗らないとね。」

 ときたまお母さんは、足をとめて、手をついてしゃがみこんだ。

 雪の上だったから、冷たいと思う。

 息も真っ白で、いっぱいでていた。

 「だいじょうぶ?」

 「大丈夫よ。もう少し待ってね…。」

 「寒くない?」

 「うん、大丈夫よ。」

 あたしはお母さんの手を握ってみた。とても冷たかった。



 6匹目。

 がりっと音がして飛び上がるほど指が痛くなった。

 雪の中に混じっていた氷だった。

 手のひらから血が出てきた。

 「…これで、うさぎさんの目ができるね…。」

 木の実さんに悪いことしたね。

 舞はしばしの間じっと痛みをこらえた後、再び作業を再開した。



 「長いあいだ、横になってたから…お母さん、体力なくなっちゃったみたい…。」

 「ちょっと休む…?」

 「うん…ごめんね。」

 「時間、たっぷりあるから、いいよ。」

 近くにあったベンチに並んで座る。

 お母さんの吐く、荒い息は一向に落ちつかない。

 「………。」

 あたしは黙って、気長に待った。

 まだまだ時間はある。ゆっくり、ちょっとずつ、動物園に近づいてゆけばいい。



 7匹目。

 普通に作ったら手の平から流れる血でうさぎの身体に赤い筋がついてしまう。

 舞は右手をぐっと握ったままで形を整えた。

 「お嬢ちゃん。」

 声は頭の上から響いた。

 「何をしているんだね?」

 舞の背後に老人が一人立っていた。



 「お母さんはいつも、”運命なの”って言っていたの。」

 舞はせっせと作業を続けながら、そうおじいさんに説明した。

 「あたしがおぼえているころからずっと家の床でねていたから……。」

 ふたりで外に出歩いたことなんてない。

 お母さんは、家の中を歩くのでせいいっぱいだった。

 ある日どこからかお医者さんがやってきてお母さんとあたしをこの病院につれてきた。

 この病院にきてからは、歩くこともしなくなった。

 窓からは、親子で見舞いにやってくるひとたちをよく見下ろせた。

 いつかはああやって、お母さんとふたりであたしもお日さまの下を歩けるのだろうか。

 『大丈夫』だというお母さんの言葉をしんじて、その日を待った。

 ふたりで外に出かけられる日が……。

 そして動物園という、動物さんがたくさんいる場所にいける日が、楽しみでならなかった。

 冬のある雪の日。

 病院のお庭にも、たくさんの雪がつもっていた。

 あたしはそれを山にして遊んだ。

 そうだ。

 これでなら、お母さんと遊べる。

 あたしはそれをたくさん服の裾に詰めて、部屋へと戻った。

 「お母さん、あそぼ。」

 あたしの声に、お母さんがゆっくりと身体を起こした。

 「頑張って、持ってきてくれたのね。」

 「うんっ!

 「じゃあ、いいものつくってあげようか。」

 「うん。」

 お母さんが、雪をつかって、なにかを作りはじめる。

 いけてあった、花の葉っぱも、つかった。

 「はい。」

 できあがりを見て、あたしはおどろいた。

 「うさぎさんだぁ…。」

 「雪でできてるから、雪ウサギっていうのよ。」

 「雪うさぎさん。」

 でも、うさぎさんの命はみじかい。

 「あ、とけてきた…。」

 「この部屋はストーブがあるからね。」

 うさぎさんは水になってしまった。

 「また、作ろうね、舞。」

 「うん。」



 本物の動物園にどれほどの動物がいるのか判らない。だが、もう舞が数えられる数を超えて随分経つ。舞は両手で口をふさいで息を吹きかけた。

 たくさんたくさんがんばった。

 手がつめたくていたかった。

 血がでてきそうなほどいたかった。

 でもがんばった。

 だけど、もっと、もっと……。

 「お嬢ちゃん。」

 老人はまた声をかけた。それでもまだ、舞は雪うさぎ作りをやめない。

 「なぁに?」

 「運命を、信じるのかい?」

 老人の声に、勢いよく振り返ってきっと睨み付ける。

 「そんなの…そんなの、絶対信じないっ!

 老人は気を悪くするどころかむしろ表情を和ませた。

 「そうか、じゃあ、飴をあげよう。」

 体が温まる飴だ、と口の中でもごもご言う。

 「ありがと…?」

 舞は老人からもらった飴を口の中に入れた。不思議な味が広がったが嫌な感じはしない。それに、本当に体も温まってきたようだ。

 「ありがとう。」

 もう一度繰り返したが、老人は振り向くことなく、もときた道を戻っていった。



 「お母さん。」

 「……。」

 「ね、お母さん…。」

 「……。」

 舞の呼びかけに一向に応じない。眠っているのか、それとも…。

 舞はそっと母の身体に触れた。

 「お母さん…。」

 「…ん……ごめんね、舞…ねてたみたい…。」

 母はだるそうに身体を起こすとゆっくりと頭をもたげた。瞼はまだ閉じられたままだ。

 「ううん、いいよ…でも、ほら…。」

 舞は母から離れ、手をひろげて立った。

 「…動物えんだよ。」

 舞の言葉に母はゆっくりと瞼を開いた。

 娘の身体の回りを無数の雪うさぎが取り囲んでいた。白いうさぎ、赤縞のうさぎ、土色のうさぎ…。色と形にこそ微妙な違いがあったが、全て雪うさぎ。娘には、舞には、雪うさぎの作り方しか教えられなかったかったから…。

 「素敵な…動物園。」

 あぁ、これ以上の幸せがあろうか……?

 母の顔に、作り顔ではない、本物の笑顔が浮かんだ。

 そして涙が頬を伝う。

 「またイタイの?」

 舞が不安げな顔を見せる。

 もう一頑張りだ。

 「…ううん、痛くないよ。大丈夫。」

 「よかった。」

 舞の顔に笑顔が戻る。

 この笑顔が永遠に失われないことを切に願います…。

 「じゃ、舞、お昼にしようか…?お母さん…久しぶりに歩いたら、お腹すいちゃった。」

 「ほんとぅ?」

 「…うん。」

 母は包みからバナナをとりだして娘に与えた。

 舞は大喜びで母の隣に座り直した。母はずっと何も口にしていなかったので、一緒に何かを食べられるだけで嬉しかった。

 くんくん・・。

 気づくと、さっきの犬が足元にいた。

 「犬さんだよ、お母さん。」

 「…。」

 「お母さん?」

 「…なに、舞…?」

 「ほら、犬さん。」

 手を伸ばすと、くんくんとその匂いをかいで、それからぺろぺろと舐めた。手の傷はいつの間にか治っていた。

 「犬さん、かわいいねぇ、お母さん。」

 舞は怖がる様子もなくごしごしと犬の頭を撫でた。犬も嫌がることなく嬉しそうにきゅうんと鳴いた。

 「……。」

 「ね、お母さん?」

 「………そうね、かわいいわねぇ…。」

 ごしごし

 「……。」

 「犬さんにもあげるね、お母さん。」

 舞は、応援してくれたお礼ね、とバナナを一本剥いて、食べさせた。もう一本…。

 「はい、お母さん」

 むいたバナナを母にさしだした。

 「……。」

 返事はなかった。

 「お母さん、バナナ。」

 ……舞は母のために剥いたバナナの先を自分で食べてみせる。

 「おいしいよ。」

 「………。」

 「…お母さん?」

 母は、寝ていた。

 だが、先ほどまでの苦しげな表情は姿を消し、満足げな、嬉しそうな表情だけがあった。

 「いたくなくなったのかな…。」

 答える声はない。

 「ね、犬さん…。」

 きゅうん

 はじめてお母さんと、おでかけ。

 ウサギだらけの動物園で……。

 一匹の犬さんと遊んで、一緒にバナナを食べた。

 楽しかった。




 祐一は夢を見ていた。

 ……いや、夢というのは当たらないかもしれない。

 記憶の欠片を追い求めていたのだから……。

 そして今彼はその欠片の先端にたどり着いた。

 「…あの…お邪魔します…。」

 緊張から言葉が出てこない。

 「だめだよ、祐一君。」

 お互い初対面のはずなのに相手は全く物怖じしない。

 「始まりはいつも、初めまして、だよ。」

 三つ編みの少女………みなせなゆき………は、そう言って微笑んだ。


<続き>


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