コンビニ:03.こんばんは

by harumi



 我が店は「こんばんは」を言うコンビニである。
 店長に言わせると当たり前、どこでもやっている事なんだそうだ。私はコンビニで「こんばんは」など言われた経験はないが、それが店の方針であればしょうがない、私とて言うしかない。だが、はじめはかなり抵抗があったのも事実。
 というか、これには最後まで抵抗したのだ。


 ある日の事。いつものようにバイトが始まる10分前にコンビニに入る。店員とて店の入口から入るから、傍目には客と変わらない。いつもなら店に入るとまずは私から挨拶するのだが、その日は店員が「いらっしゃいませ、こんばんは」と私に言うのだ。店員同士の挨拶は何時であっても「おはようございます」が基本(これについてはまた後ほど…)なのだが・・・と思いつつも「こんばんは」といい返す。ところが、本当の客が入ってきても「いらっしゃいませ、こんばんは」。
 バックルームに入るまでの間、私は考えた。

(たぶん、今週から始まった挨拶なのだろう。バックルームに入ったら、店長に「今度からは”こんばんは”を言うように」って言われるんだろうなぁ・・・・)

 ところが、バックルームで店長に会っても何も言われない。うーむ、ひょっとして、強制ではないのかも。店員各自に自主的に言わせるようにしているか。だったら私は言う必要はない。だいたい変ではないか、コンビニに入ったとたん「いらっしゃいませ、こんばんは」なんて。
 私はその後、ずっと”こんばんは”を言わないようにしていた。言わなければいけない理由が見当たらなかったのである。

 それからしばらくたったある日、我がコンビニに新しいアルバイトが入った。店長の見張りつきの研修期間が、たまたま私のバイトの時間と重なった。私のレジでの会計処理を、隣で新人と店長が見ている。新人がバックルームに休憩しにいった時、店長は私にこういった。

「新人の教育の意味もあるだろ。君だけが”こんばんは”を言っていない。他の店員への示しもあるし、ちゃんと言ってくれないかね」

 薄々感づいてはいたのだが、やはりどうやら強制らしい。私は店長に言った。

「”こんばんは”を言わなければならないという事は、私は店長には一言も聞いていませんが」

「いや、全員に言ったはず・・・だけど」

「いいえ、絶対に聞いていません」

 コンビニの店員はほとんどがバイトで、結構な数になる。多分全員に言ったつもりになっていて、私に言うのを忘れていたのだろう。

「そうか、じゃああらためて言おう。”いらっしゃいませ”のあとに、挨拶を入れるんだよ。朝なら”おはようございます”昼なら”こんにちは”夜なら”こんばんは”。うちの店員は全員言っているだろ、君も頼むよ」

「そういう事なら言いますよ。私はバイトですし、店長が言えと言うならば。でもまず、なぜそれを言わなければならないのか、その理由を教えてくれませんか?」

「私がそう決めたからだよ」

「・・だから、なぜそう決めたのですか?」

「他もそうしてるからさ」

「・・・・・私はコンビニで”こんばんは”なんて言われた経験はないですが・・・」

「俺は言われたんだよ」

 どうにも要領を得ない。これでは「とにかく言えといっているんだから従えばいいんだ」と言っているようにも聞こえる。
 適当な理由が見つからないので、たぶん他のコンビニと差別化を図りたいのだろう、と勝手に理解した。”こんばんは”なんて言うコンビニはそうあちこちにはない(はず)。ならば話題になる(はず)。そうやって少しでも客の印象に残れば、それで成功なのだ。良かれ悪かれ話題に上る。事実、私の知り合いの間では”「こんばんは」を言うコンビニ”として、うちのコンビニは有名だった。

 だが、果たしてそれで良い物か。私は”あいさつ”という物をもっと大事な物だと考えている。つまりコミュニケーションの入り口。人と人との接点。会話の糸口。顔を合わせた時に最初に口にするのが挨拶と言う物であろう。それを、相手に無視される事確実な状態で、店の入り口から入ってくる客すべてに”こんばんは”を連呼するなんて。これでは”あいさつ”の大切さ、重要性が低下してしまうではないか。いつしか”こんばんは”と言われても無視するような習慣が相手に身についてしまうかもしれない。また、挨拶を言っても相手が無視する事にこっちが慣れてしまうかもしれない。それでいいのだろうか?”あいさつ”を、そんなに軽んじて良い物なのだろうか?
 無視されるために存在する挨拶など、”いらっしゃいませ”の一言で良いでないか!

 とは言っても、私は雇われの身。「やれ」と言われればやるしかない。他に条件のいいバイトがない以上、クビになるわけにはいかない。
 はじめはかなり戸惑った。どんなに客に向かって挨拶しようと、相手は必ず私を無視する。そりゃそうだ、返事しなければならない理由などない。

「いらっしゃいませ、こんばんはー、だって。ははは、ばかみたい・・・・」

 そんな風にいわれる事もしばしば。”こんばんは”を言った瞬間に、客が私をじろじろと見る。そりゃそうだ、普通は見知った同士で交わす言葉だから、知り合いに声をかけられたのかと思うだろう。しかしそうではない。はっきり言って気まずい。
 ますます客に向かって”あいさつ”することに疑問を感じてきた。常連の見知った客ならいざ知らず、誰是構わず、レジの目の前の客に向かって”こんばんは”とか言えば、相手が戸惑うのは分かりきっている事ではないか?これが本当に集客力アップに結びつくのか?

 ある日、店長にバックルームに呼ばれた。”君の挨拶が良くない”んだそうだ。だが、言われてもしょうがなかった。私は”挨拶を軽んじる”ことを、”見知らぬ人にはおざなりな挨拶をする”ということで誤魔化そうとしていたのだ。その分、見知った客には心を込めて挨拶をしていた。見知らぬ人にはぶっきらぼうに見えたかもしれない。だいたい来る客すべてに心を込めた挨拶など、出来るはずがない。しかも全く知らぬ同士ではないか。私にどうしろと言うのだ!

 何とかすべての挨拶に心を込めようと試みた。だが、返事もないのにどうして心が込められるのか?これでは、バイトで疲労が溜まってしまう・・・・・

 ところが、ある日。いつものように挨拶した時である。

「いらっしゃいませ、こんばんは」

「こんばんは」

 返事が返ってきて、驚いたのは私の方だった。あるはずのない返事。普段は客の方などたいして気にもしない、その時はまじまじと見てしまった。めがねをかけた普通の女の子、多分高校生だろう。さも普通そうな顔をしている。驚いている私の視線を受けて、さも普通そうに微笑んでいる。はっと我に返った私は、普通通り会計を済ませた。

「ありがとうございました、またお越しくださいませ」

 心が洗われたような気分だった。中にはこのような人もいるのか…(しかも高校生…)

 それ以来、挨拶で困る事はない。今では見知らぬ客に対しても普通に接する事が出来る。不思議と肩の力が抜け、自然に言えるようになったのだ。見知らぬ人から返事が返ってきたのは、後にも先にもそれっきりだったが、返事が来ない事もなぜか気にならなくなった。

 呼びかける事がなければ、答えが返ってくる事もない。まずはこっちから、呼びかける事。それが大事なのかもしれない。




Mail or Back to Index